青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『ベスト・ストーリーズⅡ 蛇の靴』 若島 正篇

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若島正氏編による、新『ニューヨーカー短篇集』、『ベスト・ストーリーズ』全三巻の第二巻。時代的には1960年から1989年までの三十年間をカバーしている。二代目編集長ウィリアム・ショーンが辣腕を振るった『ニュ-ヨーカー』がどんな雑誌だったかというと、短篇小説だけでなく長篇やノンフィクションにも発表の場が広げられ、歴史的な作品が数多くこの雑誌の紙面を飾った。一例をあげると、ミュリエル・スパークの『ブロディ先生の青春』や、ガブリエル・ガルシア=マルケス『族長の秋』も一挙掲載だったという。ちなみに、第二巻の収録作品と作家、訳者は以下の通り。

「幸先良い出だし」(シルヴィア・タウンゼント・ウォーナー 桃尾美佳訳)
「声はどこから」(ユードラ・ウェルティ 渡辺佐智江訳)
俺たちに明日はない』(ポーリーン・ケール 佐々木徹訳)
「手紙を書く人」(アイザック・バシェヴィス・シンガー 木原善彦訳)
「ホフステッドとジーン――および、他者たち」(ハロルド・ブロドキー 小林久美子訳)
「お静かに願いません、只今方向転換中!」(S・J・ペレルマン 喜志哲雄訳)
「蛇の靴」(アン・ビーティー 宮脇孝雄訳)
「大尉の御曹司」(ピーター・テイラー 若島 正訳)
「野球の織り糸」(ロジャー・エンジェル 森慎一郎訳)
「脅威」(ドナルド・バーセルミ 柴田元幸訳)
シュノーケリング」(ニコルソン・ベイカー 岸本佐知子訳)
「教授のおうち」(アーシュラ・K・ル・グィン 谷崎由依訳)
「列車に乗って」(ジーン・ウルフ 若島 正訳)
「マル・ヌエバ」(マーク・ヘルプリン 藤井 光訳)

錚々たる作家、お馴染みの訳者名を目にしただけで、これはちょっと読んでみたくなるではないか。邦題と原題、作者名と訳者名が書かれた中扉には掲載時の「ニューヨーカー」の表紙画(これが、いかにも「ニューヨーカー」という、いい味を出している)。その裏に、「訳者あとがき」ならぬ、作家紹介と作品紹介を兼ねた前書きが付され、もちろん巻末には、若島正氏の「編者あとがき」もついているという親切さ。

アンソロジーの問題点は、好みの作家がそろっているか、逆にそうでもない作家や作品の方が多いのか、ということ。編者が若島正氏。掲載雑誌が「ニューヨーカー」。年代が60年代から80年代と分かっているから外れはないだろうと思うものの、半数以上は名前も知らない作家が並んでいる。こういうときは、まず巻頭に置かれた一篇を読んでみることに決めている。短篇集だから、立ち読みでも好みかどうかくらいは判定できる。

「幸先良い出だし」は、骨董店で品定めをする上得意の若い紳氏とその妻が、年季の入った骨董商の鑑識眼によって値踏みされる様子を描いた一篇。夫のほうは非の打ち所のない良い趣味を持ち、金離れもいい上客だ。愛らしい若妻はハート型の中に猫の顔が描かれたロケットに目をとめるが、夫に否定され黙って従う。夫の目は確かで、妻の欲しがるロケットは妻には不似合いな品だ。良い趣味の持ち主である紳士は、愛らしい妻を夫ではなく鑑定家の目で見ているらしい。「非の打ち所のない趣味というものは――客にとっては立派な素質だろうが、美術商はこいつに翻弄されたが最後、完膚なきまでの身の破滅となる」というのが信条の骨董商は若妻を気の毒に思う。結局妻はロケットを手に入れるのだが、問題はその手段。良い趣味や倫理観より、欲望や愉楽の方を選んだ若妻の表情を骨董商は嘆賞する。シニカルな視線が、「ニューヨーカー」らしい。

『ボニーとクライド』のような映画評論、「お静かに願いません、只今方向転換中!」のような映画製作者のとんでもない内幕を大げさに脚色した抱腹絶倒の短篇も入っているが、心のひだに分け入るような佳品も多く収められている。失職した病身の独身男が死にかけている自分より、いつも餌をやっているネズミのことを心配する「手紙を書く人」は、ユダヤ民話風の幻想的な雰囲気が楽しい心あたたまる作品。離婚した弟夫婦のことを案じた兄がもう一度みんな一緒に週末を過ごそう、と提案する「蛇の靴」。サム伯父さんが二人の娘に話す作り話が可笑しい。夫婦仲は戻るのだろうか、と淡い希望が浮かぶ結末が心に残る。

その一方で、いつまでも忘れられないほどの苦味やいたみをもたらす作品もある。テネシー州ナッシュビルとメンフィスを舞台に両都市に住む人々の人間性のちがいをモチーフに、姉の結婚を契機に一つの家族のかたちが変わってゆく有様を描いた「大尉の御曹司」も、その一つ。法律で酒を禁じることを愚かしいと笑ってばかりいられない気になった。

覚えていたとおり、波は強かった。砂に打ちつけるときに色と音をほとばしらせ、引いていくときにはため息をつく。そうしていつも、波は青く冷たい海に身を隠そうとする。

ロレンス・ダレルを思わせる優美な情景描写のなか、中南米と思われる独裁国家に暮らす一家が経験するひと夏の出来事が語られる」と訳者紹介にある「マル・ヌエバ」。弟の回想視点で語られる避暑地の夏の美しさがひときわ心に残る。小さい頃夏になると訪れていた別荘近くの砂浜に、ある年、高い壁が造られた。桟橋で釣りをしていた「私」は、一人の男に話しかけられる。独裁者だった。同じ男を見ても年端のいかない男の子と、読書好きの十七歳の娘とでは見方が異なる。半世紀を過ぎても忘れることのできない記憶。姉は、いつでも賢く、美しく、そして勇気があった。「私」の記憶に残る姉の姿が限りなく愛おしい。物心つかないうちに姉を亡くしたせいか、「姉」を美しく描いた作品に弱い。これはそのなかでもベストかもしれない。集中の白眉である。