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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『夢宮殿』 イスマイル・カダレ

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19世紀、オスマン帝国の首都コンスタンティノープル。皇帝に代わって政務をとり、オスマン帝国を支えた有能な大臣を五人も出した一家としてラルースにも名前が残る名門キョプリュリュ家の若者マルク=アレムは、初めて出仕する朝を迎えていた。彼の勤め先は<タビル・サライ>別名<夢宮殿>と呼ばれる。そこは帝国全土に暮らす臣民の見た「夢」を集め、選別し、解釈を加える大組織である。

イスラムの神アッラーは、大地に雷を落とすのと同じように、人々の見る夢のなかに、国家の災いになる予兆を知らせることがある、と当時の皇帝は信じていた。ただ、厄介なことに帝国の支配する膨大な領土に暮らす誰の夢に、それが現れるのかは分からない。そこで、もともとは星を見て凶兆を占う組織であった組織を<タビル・サライ>と改称し、国中から集めた夢を管理統括、金曜ごとに最も重要な夢を選び出し、<親夢>として皇帝に提出することとした。

マルク=アレムは、<夢宮殿>の<選別>課で働くことになる。重要度では<解釈>課に劣るが、新任で<選別>に配属されることはまずなく、キョプリュリュ家の一員であることが、この優遇の原因であることはまちがいなかった。というのも、キョプリュリュ家と<タビル・サライ>には、以前から因縁があり、キョプリュリュ家になにかあるときには<タビル・サライ>が活気づくと言われていた。

オスマン帝国の歴史は複雑で、その支配体系も多岐に入り組んでいる。キョプリュリュ家を歴史に残る名門にした始祖メフメト・パシャは大宰相としてオスマン抵抗の版図を広げるという功があった。だが、それは皇帝にしてみれば政治権力を横取りされたも同然で、ましてや代々のキョプリュリュ家の者が大宰相の地位につくのは目の上のたん瘤であったろう。

さらに、皇帝がキョプリュリュ家を嫉妬することがもう一つあった。それは武勲詩と呼ばれるものの存在である。キョプリュリュ家の武勲を歌った武勲詩がスラブ系の吟遊詩人によって歌い継がれていた。オスマン帝国の覇者である皇帝にもないものがキョプリュリュ家にはある。それこそが、皇帝の癪のたねだった。

帝国の最深部では、皇帝とキョプリュリュ家の暗闘がどの時代でも繰り返されていたのだ。皇帝は<タビル・サライ>という組織を使って、キョプリュリュ家を追い落とすための確証を探し求めていた。マルク=アレムの伯父はキョプリュリュ家出身の大臣として、常に<タビル・サライ>の動向に注意を払っていた。マルク=アレムが<夢宮殿>内部に勤めることになったのは、本人の意思ではなく名門一家の運命を託されてのことだったのだ。

と、これだけの前置きを置かなければ、話の内容が読めてこない。一部、主人公の家や、伯父の邸宅で行われる晩餐会が舞台となるが、大半が薄明の裡に閉じ込められた巨大な回廊を持つ<夢宮殿>という建築のなかで演じられるといってもいい。大きな井戸のような空洞を囲むように、幾多の課が配され、中央通路から何本もの横道が伸びる<夢宮殿>は、巨大迷路のようなもので、主人公はいつでも目的の部屋を見つけることができない。めったに通る人のいない回廊で、人を待って尋ねては道を知るのだ。

情報を得る手段としては、休憩時の立ち話や、隣の机に座る同僚との小声の会話しかなく、すべては不確かな推測、噂話でしかない。<夢宮殿>があるのはオスマン帝国とされているが、ミナレットが並び立つ華麗なイスタンブルを偲ばせる情景描写は皆無で、意識的に色彩や明るさというものを欠いた叙述は、その徹底した秘密主義、時間厳守、中央集権制などと重ね合わせると、旧共産主義諸国の管理社会を思わせる。作家の祖国であるアルバニアがモデルだろう。

また、昼間であっても高い窓から曇ったガラス越しに届く光しかなく、暗くて自分がどこにいるのかすら見当のつかない迷路じみた回廊の地下には巨大な<文書保存所>があり、過去に集めたすべての夢の記録が保存されている。「いかなる歴史も、いかなる百科事典も、そればかりかあらゆる聖なる書物やその類いの書物をまとめ合わせたところで、いかなるアカデミー、いかなる大学や図書館にしたって、この<文書保存所>から発するほどの凝縮した仕方でわれわれ世界の真実を提供することはできないのだ」と断言されるその場所こそ、人類の集合的無意識の暗喩である。

無数の人によって組織され、同じ課で働く同僚くらいしか知り合うこともない細胞のような人間が、個人の意思などではなく、機械的に処理してゆく情報によって、国家が動く。このディストピアめいた<夢宮殿>で働くうちにマルク=アレムは次第に、実生活をけち臭くしみったれたもののように感じはじめる。同時に自分が毎日接している夢の方が色彩に溢れ、生き生きしているように感じ始める。たまの休日に街に出ても、以前のように心惹かれることはなくなってゆく。

現実世界に生きる人々は、加工された情報を断片的にしか知らされず、<夢宮殿>で働くマルク=アレムを自分たちの知らない秘密を知る者として、どこか敬して遠ざけるようになる。多くの人々によって見られた夢が毎日届けられる<夢宮殿>とは、東独のシュタージのような秘密警察や諜報機関をソフトに著したものではないだろうか。その証拠に、歩哨の立つ一室には、問題のある夢を見た者が監禁され、査問を受ける場面がある。それどころか、そこから棺が運び出される情景すら垣間見られている。

無垢で、世間知らずの青年が、組織内で出世するうちにしだいしだいに取り込まれ、組織に同化してゆく様子が、主人公の内側の視点から描きだされることで、管理社会に対する恐怖がじわじわと迫る。最後に主人公の流す涙が、わずかに残る人間性の証でもあろうか。伝説や武勲詩、吟遊詩人といった文化的遺産を効果的に配することで、管理社会に飲み込まれる人間を描く殺伐とした空気をやわらげ、長い歴史を持つ民族の物語性豊かな作品にしている。

無名の人たちが見た夢を集め、選んで、解釈を施すという<夢宮殿>の中で働く主人公の仕事は、ある意味、作家の仕事でもある。われわれ読者もまた無意識に雑多な夢を見ている。多くの人間の見る夢の中に分け入り、断片的で支離滅裂な内容を、選別、解釈し、ひとつのストーリーに織り上げてくれる作家という職業あってこそ見られる、完成された形としての<夢>が小説なのだ。

今年ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランのメッセージが発表されたが、アルバニア生まれの亡命作家イスマイル・カダレもまた、その受賞が待たれる一人である。寓意的でありながら、寓話に堕ちることなく、潤沢な物語性を湛えた硬質な作品世界は独特の魅力にあふれている。本作はフランス語訳からの翻訳だが、是非アルバニア語原書からの訳で読みたいものである。ノーベル賞はそれを可能にしてくれるはずだ。