青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』ジョン・ル・カレ

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二度読んだ。結果から言えば、ここは、と思わせる部分がないこともないが、全体的にはさほど読みづらさは感じなかった。読みづらさを感じる原因は、フラッシュバックを駆使した回想視点の導入による時制の交錯や、複数の視点人物の瞬時の転換といった原作者の文章にあるのではないか。しかし、一度目は多少苦労しても再読時は、主人公スマイリーの独白の沈鬱さを紛らわそうとするかのように絶妙のタイミングで挿入される情景描写の巧みさや、込み入った伏線を多用した構成の妙味にうならされるはず。旧訳や原文とつき合わせていないので、訳の巧拙についてはひとまず置く。ただ、それを理由に読まないですますのはもったいない。そう思わせる作品である。

スパイ小説というジャンルには不案内で、ル・カレの作品も読むのはこれで二作目。だから全くの素人評だが、読後思ったのは、これは、一種の企業小説だな、ということ。業界紙の記者をやっていた藤沢周平が作家に転じ、「お家騒動」に材を採った時代小説を得意としたように、企業でも、江戸時代の藩でも、洋の東西を問わず、男が集まるところに権力争いはつきものだ。

主人公スマイリーは、サーカスと呼ばれるイギリス情報部の幹部だったが、チェコで起きた事件の巻き添えを食って職を失う。愛する妻にも去られ、今は孤独な年金生活者である。その元スパイのところに大臣の側近レイコンから呼び出しがかかる。どうやら、サーカス内部それも幹部の中にソ連に通じている「もぐら」と呼ばれる二重スパイがいるらしい。スマイリーの馘首も直属上司であったコントロールの失墜もサーカスを牛耳ろうとする「もぐら」による策謀だった。スマイリ-は、権力の中枢から排除されたかつての仲間と諮り、もぐらの正体を暴こうとする。

題名の「ティンカー、テイラー、ソルジャー…」は、マザー・グースにあるわらべ歌で、「鋳掛屋、仕立て屋、兵士、貧者、乞食」の意味。ここでは、それぞれサーカスの幹部、パーシー、ヘイドン、ブランド、トビー、スマイリーに見立てられている。「もぐら」の裏切りによってチェコに潜入したジム・プリドーは背中を撃たれ、現地の組織は壊滅した。いったい誰の仕業なのか。スマイリーは、その謎を解かねばならない。スパイ小説とは言い条、そのつくりはクインやクリスティ、横溝正史偏愛の童謡仕立てのフーダニット物ミステリに類する。

スマイリーの調査活動は、レイコンや側近のギラムがサーカスから持ち出した資料を読むことと、事件の当事者の尋問。ぶ厚い丸眼鏡をかけた風采の上がらぬ小男という外見に相違して、スマイリーは有能なスパイだった。得意とするのは厖大な情報を精査し、そこに存在する齟齬から重要な問題点を読み解くことと、警戒する相手から得たい情報を聴き出す力。どちらも地味ながら情報活動では必須とされる力で、考えようによっては、これは名探偵の資質でもある。

ル・カレの真骨頂は、一見無関係とも思える情景から物語の中に読者を導く手際にある。冒頭、喘息の発作で授業を見学していた少年の目を通して描かれるジム・プリドーの荒々しいまでの登場シーン。雨中、窪地に突っ込むトレーラー車の描写が、これから始まる物語の不穏で酷薄な世界を余すことなく予告する。尋常でない魅力を身にまとった新任教師が垣間見せる孤独な姿に、少年は自分が庇護者になろうと決意する。すべてが終わり、心配しつつ待つ少年のところに彼は戻ってくる。裏切りに傷ついた男に新しい友情の誕生を予感させ、物語は余韻を漂わせて終わる。少年の挿話が陰惨なスパイ小説に一抹の救いを与えているのだ。

かつて実際にあった二重スパイ事件をモデルに、東西冷戦を背景に権力闘争にうつつをぬかす男たちを冷静な視点から解析し、倫理的な判断を下す。男同士の友情と裏切りというテーマは、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』にも通じる、ほろ苦い読後感をもたらす。ル・カレの代表作であり、これに続く『スクールボーイ閣下』、『スマイリーと仲間たち』三部作は、スパイ小説の傑作とされている。

「そろそろ生命保険の広告のいう“人生の晩年”だから、彼は不労所得生活者の見本になろうと努めた。だれも、だれよりもアンは、その努力を買いはしないが、彼は本気だった。毎朝ベッドを出て、毎晩ベッドにはいる。たいていひとりきりのそんな日々を送るうち、いまも、これまでも、自分はなくてはならぬ存在ではなかったのだと、自分にいってきかせた。」

スマイリーの独白だ。人生のある段階にきた者にとって、この感慨を他人事と読みすごすことができるだろうか。自分はまだできる、できるはずだと思いながらも、一日はやってきては去ってゆく。その日の長さに耐えるため、自分に言い聞かせる。「いまも、これまでも、自分はなくてはならぬ存在ではなかったのだ」と。

生きる記憶装置のようなコニーをはじめとして、ル・カレの創り出した人物は、誰もみな実在の人物であるかのごとく生き生きしている。彼らがすぐそばにいても何の不思議もない。バリバリの現役だったころならピーター・ギラムに感情移入し、いらいらしながらスマイリーの思考を追うだろうが、年金生活者の身ともなれば、スマイリーの境遇に自分をかえりみてしまう。スパイ小説の傑作と紹介してもまちがいではないが、すぐれた文学の持つ香気のようなものが全編に漂う。時間に余裕があって、再読、三読を愉しむことのできる世代にこそお勧めしたい。