『カールシュタイン城夜話』フランティシェク・クプカ
丘の上に聳える灰色の城塞が眼に浮かんだ。坂を下りながらふりかえると、武骨な石造りの砦は翼を広げた鷲のように、谷に向かってその一部を中空にせり出していた。プラハ郊外の寒村に中世の姿を今にとどめるカレルシュタイン城。よく覚えている。張出し窓の両側に設えられた石の長椅子に腰掛け、足下の峡谷に見入りながら、夜な夜な満天の星を眺め、王は何を思ったのだろうと考えていた、あの城のことだ。
神聖ローマ皇帝にして、ボヘミア王カレル四世は、ある日突然猛烈な腹痛に襲われ昏倒した。医者は王の症状から毒殺を疑った。手当ての甲斐あって一命は取り留めたものの、体力の消耗は甚だしい。侍医は緑濃いカールシュタイン城での休息を勧め、王もこれに従う。これ以上王の心身を疲れさせることのないよう、お付きは同年輩の医師と騎士、それに僧の三人が選ばれた。
黒死病に襲われ街に閉じ込められた男たちが無聊を慰めるためそれぞれが話を披露した十日間の物語を書いたボッカチオの『デカメロン』にならい、七日七夜、夜伽の話で王を慰めようというのが『カールシュタイン城夜話』である。有徳の尼僧の転落、子を持つ母の不義密通、親子兄弟間の裏切りといった如何にも中世の古色を帯びた稀譚が一夜で三話、計二十一話。情感を抑えた淡々とした語り口、贅肉を削ぎ落とした文体で書き留められている。これを素っ気ないと見るか、古人の雄勁さの現れと見るか、評価の分かれるところ。絡まった蔦のように生い茂る『千一夜譚』をはじめとする古今の物語からお気に入りの挿話を抜き出し、解剖医の手際よろしく、物語を成立させている根本の構成要素のみを採りだして並べてみせるボルヘスの好きな読者なら或は分かっていただけるかと思う。
人物は近代小説のそれのように個性というものを持たず、典型として登場する。それゆえ女は絶世の美女でなければならず、一夜の恋はすべてを捨てて駆け落ちに至り、篤信の尼僧は男に騙され、娼婦に転落せずにはいられない。類稀な美女は、その美しさゆえにめぐり合うすべての男の運命を狂わせ、それを罪として、剣で自分の顔を切り裂く。そんな美女を妻にした男は嫉妬に苦しめられ、自分の出張中、妻を他の男から守るためなら悪魔に己が魂を売り渡すことさえ厭わない。それを知った妻は夫の魂を救うため、悪魔を誘惑する。全編すべてこの調子、数奇の人生が息つく暇なく繰り出される。身を乗り出して話を聞く王はみるみる回復し、やがて自分も話の仲間に入り、語りはじめる。
作者フランティシェク・クプカは、チェコに伝わる古譚集、歴史書を渉猟し、各国に伝わる遍歴のモチーフ数編をチェコ風に改編し再話、その他については、カレル王の自叙伝を参考にするなどして創作し、この黄昏迫る中世を舞台とする歴史物語を編んだ。チェコという国は、かつては神聖ローマ帝国の首都プラハを擁し、世界に冠たる一大帝国であったが、その後幾多の戦乱や他国の支配により受難の歴史を持つ。『カールシュタイン城夜話』は、ナチス・ドイツの支配の眼を掻い潜って出版され、収容所の中で奪い合うようにして回し読みされたという逸話を持つ。
如何なる国家であれ、順風満帆の時代ばかりではない。異邦の風下に置かれ、自民族の誇りを奪われ、辛酸を嘗めねばならぬ時代を持つこともあろう。それをどう受け止められるかが国家や民族の品格というものだろう。困難な時にあっても徒に卑屈にならず、偏狭なナショナリズムに陥ることなく、自国文化の精華を忘れずに生きぬくことがいかに大事なことかということを、この本は教えてくれる。
山口巌氏の訳は逐語訳に近くやや生硬だが、古譚の味わいを伝えるもの。ただ、「オンドジェイ氏はこの歓迎の場にいて顎鬚を撫でていた。それは剃られていた。悪魔が痩せていたのである」(オンドジェイ氏というのが悪魔が化けている人物)のように日本語として意味の通じない部分も散見される。版を改める際、見直しが必要ではないか。