『夜毎に石の橋の下で』レオ・ペルッツ
一五八九年秋、プラハのユダヤ人街はペスト禍に見舞われていた。婚礼の席で余興を演じて金を稼いでいる二人組の芸人は仕事ができず、供え物の銅銭目当てに墓地に向かう。彼らはそこで顔見知りの少女の幽霊を目にし、高徳のラビの家を訪ねる。ラビに命じられ、再び墓地に赴いた二人は、少女の幽霊からユダヤ人街がペスト禍にある訳を訊く。災厄の因果を知ったラビは石橋のたもとに向かい、赤い薔薇に絡みつくローズマリーの白い花を引き抜き、河に投げすてる。この夜、ユダヤ人街からペストは消え、麗しのエステルは邸内で息を引きとり、ルドルフ二世は悲鳴を上げて夢から覚めた。(第一章「ユダヤ人街のペスト禍」)
標題にある「石の橋」とは、プラハ市中を流れるヴルタヴァ(モルダウ)河に架かるカレル橋のこと。物語の時代にはカレル橋という名はまだついておらず、単に「石の橋」もしくは「プラハ橋」と呼ばれていたらしい。第一章の粗筋からも分かるように、本書は一見すると十五の短篇小説で構成された短篇集のように見えるが、最後の章が「エピローグ」と名づけられているとおり、独自の短篇としても読める十五話は「緊密であるが時系列を乱した長篇小説の一部」なのだ。
主たる人物は、澁澤龍彦著『夢の宇宙誌』の巻頭を飾る、神聖ローマ皇帝ルドルフ二世。映画にもなった「ゴーレム」伝説の主、高徳のラビ・レーウ。そして私費を投じてユダヤ人街に救貧院や施療院を建てたユダヤ商人モルデカイ・マイスルの三人。ルドルフ二世が統治する当時のプラハについて、前掲の澁澤の本にはこうある。「『黄金小路』と呼ばれる細長い街の一角には、あやしげな占師、術者、カバラ学者がうろうろしていたし、狭苦しいゲットウには土偶ゴーレムにまつわる怪奇なユダヤの伝説が息づいていた」。
黄金小路のあるのが城を頂くフラチャヌイの丘。「狭苦しいゲットウ」即ちユダヤ人街で、城と旧市街を結ぶ堅牢な石造りの橋はプラハの観光名所として知られ、今も人通りが絶えない。百塔の街と呼ばれる古都プラハに幽霊や妖怪、悪鬼が跳梁跋扈し、魔法や呪文が力を持っていた時代の話である。面白くないわけがない。ペルッツは、もともとボヘミア地方に古くから伝わる伝説や歴史を巧みに換骨奪胎し、自分の小説を支えるエピソードとして用い、絶世の美女をめぐる悲恋と復讐の物語を創りあげた。
いまは『夜毎に石の橋の下で』と題されているこの本、原題は『マイスルの富』であった。エピローグで、ここに記された物語は、語り手がプラハのユダヤ人街にある一軒の屋根裏部屋で、土曜日の午後、家庭教師に聞かされた話であることが明かされる。家庭教師の名はマイスル。つまり、本書は『千一夜物語』の系譜を引く枠物語の形式を踏襲している。家に代々伝わる「マイスルの富」にまつわる因縁話が、それぞれの章にあたるわけである。
一六世紀のプラハに二人の男がいた。一人は国家財政が窮迫するのをしり目に錬金術に入れあげ、城内に数多の美術品を蒐集し続けた世評に名高い神聖ローマ皇帝ルドルフ二世。今一人は、莫大な富を手にしながら、ユダヤ人街の改修に私財を投じた挙句無一物となって死んだ奇特なユダヤ商人モルデカイ・マイスル。二人は何故そのように常軌を逸した道を選んだのか。この一見何の関係もない二人の生涯を包み込む謎を鮮やかに解いて見せる謎解き小説としても読めるのがこの本。
街角で見かけた美しい少女に心奪われ、夜毎夢での逢瀬を楽しんでいた皇帝は、ある夜を境にその姿を見失ってしまう。失意の皇帝はその傷痕を消そうとでもするかのように美術品を買いあさるのだった。愛する妻が死ぬ前に「お助けを」とすがった男の名「ルドルフ」が皇帝のことであることを知ったマイスルは、死後自分の財産が皇帝の懐に入ることを防ぐため、財産を蕩尽させることで恋敵に一矢を報いようとする。探偵小説に「シェルシェ・ラ・ファム(女を探せ)」という言葉があるが、犯罪の陰にだけでなく、愚行や奇行の陰にも女がいるのだ。
古(いにしえ)のプラハを舞台に、ユダヤのラビの魔法が操る稀世の美女と二人の男の哀しい恋物語に、数世紀の時を隔て、奇しき因縁が綾なす怪談・稀譚の数々。炉辺に椅子を引き寄せ、灯影にひもとくに絶好の奇書。一話読んでは栞を挟み、余韻に浸るもよし。一気呵成にエピローグまで読み進めるもよし。垂野創一郎の訳は平明な裡にも古色を漂わせた薫り高い訳文になっている。