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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『古書奇譚』 チャーリー・ラヴェット

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解説では本書をビブリオ・ミステリとして紹介しているが、「ビブリオ」については問題はないが、これを「ミステリ」と呼ぶのはどうだろうか。もっとも、解説の中でも触れられているように、ビブリオ・ミステリには定義があるらしく、それによると、本に関する職業の人物が主人公、本に関する場所が主舞台、作中で特定の本が重要な役割を果たす、の三つのうち二つ以上を満たしておればいい、というのだから、その意味で本書はまちがいなくビブリオ・ミステリといえる。しかし、その定義について言えば、それ以前にミステリとしての要素を満たしている本であるという前提があってのことだろう。

たしかに殺人事件が起き、主人公が犯人と考えられる状況が作り出される。それを解決するために主人公が活躍し、犯人と対決する場面も用意されている。だが、殺人事件が起きるのは半分以上読みすすんだ後であり、殺される人物は、それまでほとんど顔も見せていない。何より、それまで不安障害で、人と接するのが苦手だった主人公が、事件発生後まるで人が代わったように、ヒーロー振りを発揮するのが、とってつけたようだ。

しかし、この本の読者はそんなことは問題にもしないだろう。ビブリオ・ミステリというレッテルをはがしさえすれば、何の問題もない。原題は" The Bookman’s Tale ” 。フェアリーテールの、あの「テール」なのだ。訳者もその原義を生かして『古書奇譚』という邦題にしたにちがいない。とはいえ、本書にミステリ本来の面白さがないわけではない。いや、本好きの読者ならまちがいなくはまるとびっきりの謎解きが用意されている。

シェイクスピア別人説というのがある。ストラトフォード・アポン・エイヴォンの役者シェイクスピアは手袋職人の息子で、地元のグラマー・スクールしか出ていない。それにしては、作品を読む限りギリシャの古典その他に詳しく、誰か他に作者がいたのではないか、ということから同時代の有名な人物であるフランシス・ベーコンや劇作家クリストファー・マーロウ、第17代オックスフォード伯などが実作者ではないかというものだ。シェイクスピアについては詳しいことが分かっておらず、はっきりしているのは死んだ年月日だけだという話まである。

そこで、登場してくるのがシェイクスピア本人手書きのマージナリア(本の余白に記された覚書)入りの二つ折り本。『冬物語』の種本といわれる、これも同時代の詩人・劇作家ロバート・グリーン作『パンドスト』である。ふとしたことから、この本の売買に関わることになった書籍商ピーター・バイアリーは、一週間という期限の下に真贋を決定しなければならない。その経過を追うのが、この小説の本筋だ。殺人事件はそれに付随する挿話に過ぎない。

けれども、本書の魅力はそこだけにあるのではない。主人公ピーターが、いかにして今の職業である書籍商を営むことになったのか、という彼の半生の物語がある。今は亡き妻アマンダとの出会いから結婚、そしてその死に至るまでの臆病者と堅物のカップルならではのラブ・ストーリーはそれだけで一篇の恋愛小説になる。個人的な感想で申し訳ないが、主人公の両親以外の人物がすべて善人で協力的であるのも含め、引っ込み思案の青年が資産家で大学の創始者一家の一人娘と相思相愛になるというご都合主義的な展開は好みではない。まあ、その辺が「テール」である由縁か。

もっとも興味深いのは、現代から遠く離れた時代を舞台とする、『パンドスト』という本が持つ運命の物語だ。多くの資料を読み込み、本の成立事情を組み立てた後、一冊の本がどういう経路で、著者から他人の手に移り、また別の人の手に渡ってゆくのかを追った歴史小説的なサイド・ストーリーこそ『古書奇譚』という表題に相応しい部分ではないだろうか。しかも、主人公の現在、過去の回想、という二つのストーリーを綯い合わせるのが、この『パンドスト』という流転する本を主題とする三つ目の物語。そこにはまた別の恋愛譚があり、それこそフェアリーテールめいた不思議なめぐり合わせを生むもととなる。この時空の異なる三つの話が代わる代わる語られる構造こそ作者が最も心を砕いたところだろう。肝心要の贋作者の資質等々、所々安直と思われる部分があるにもかかわらず本書が多くの読者に支持されるのは偏にその語りの手法にある。

本を扱った小説に目がなくて、解説でも取り上げているエーコの『薔薇の名前』、カルロス・ルイス・サフォンの『風の影』に始まるバルセロナ四部作、ジョン・ダニングの『死の蔵書』に始まる古本探偵クリフ・ジェーンウェイ物と、手当たり次第に読んできたが、本書は、あまりミステリらしさにこだわらない点で『風の影』のテイストに近いといえるかもしれない。主人公と一緒に殺人事件に巻き込まれたリズ・サトクリフが亡き妻に代わる伴侶にでもなれば、シリーズ化も可能だろう。

ここからは、本の内容と直接関係がないのだが、ここのところ読んできた『道化と王』、『地図と領土』、それに本書、とおよそ領域の異なる小説が、ロンドン大火、ウィリアム・モリス、ラファエル前派等で繋がっていることに、シンクロニシティを感じた。過去を振り返ってみてもこういうことは時々起こる。本書の主人公が窮地に陥ると、死んだはずの妻アマンダがピーターの前に現れ、何かと指示を与えて夫を助けるところに、ミステリにそぐわぬ神頼みに似た精神を発見し苦笑を禁じえなかったが、偶然手にした三冊の本の間に共時性を発見して面白がっている自分も、それを笑える立場ではないことに思い至った。