青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『無地のネクタイ』丸谷才一

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作家が亡くなると、関係のあった出版社からは追悼の意味も含め、版権を所有する原稿を集めて遺稿集のような本を刊行するのが常で、これもそのひとつ。岩波の雑誌『図書』に掲載されていたエッセイを集めたものである。同じエッセイ集にしても『オール讀物』に拠るそれらとは少しく色合いが異なる、解説で池澤夏樹も言うように「武張っている」のだ。軽妙洒脱にして、博覧強記の中に下品にならない程度の色気、というのが丸谷才一のエッセイの持つ妙味だが、この本に集められた諸篇には出版社とその読者を意識してか、世の中に一言申しのべたきことあり、というスタイルをとるものが多く、どちらかといえば「大人」に似つかわしくないと思うのだが、その中からひとつ採るとすれば、「私怨の晴らし方」という一篇。

ボルヘスがペロン嫌いだったことを簡単に説明した後、彼の『まねごと』という短編を紹介する。妻のエバの人気があって大統領になれたペロンはエバの死を境に失脚するのだが、そのエバの死後、アルゼンチンの村には、棺に見立てた段ボール箱に金髪の女の人形を入れ、喪服の男が傍らに立つ小屋がけの見世物が立ったという。入場者は喪服の男に哀悼の意を表し、ブリキの箱に二ペソの銅貨を払うというものだ。これは実話だと書いた後の文章を引用している。

それは言わば、ある夢の影であり、『ハムレット』の劇中劇のようなものである。喪服の男はペロンではなく、ブロンドの人形はその妻のエバ・ドゥアルテではなかった。しかし同様に、ペロンはペロンではなく、エバはエバではなかった。

オリジナルなきコピーであるエバとペロン、すべてはコピーでしかないラテンアメリカに限らぬ独裁者の姿を描いて見事な一篇だが、これを私怨の晴らし方の素晴らしい例とした上で、わが鷗外の『空車』が当時売り出し中の武者小路に対する私怨から書かれた物であるという松本清張の説を支持していわく、「出来が悪いし無内容である。もう一工夫あって然るべきだった」と結ぶ。知の巨人と比べられては、さしもの大文豪も形無しである。ボルヘスのペロン嫌いに自分の軍人嫌いを重ねながら、論旨の展開に、ボルヘス、鷗外、松本清張と斯界の大御所を並べてみせる豪勢さは流石。

表と裏に、シリーズタイトルから採られた無地のネクタイとバオバブの木のイラストが花を添える。名コンビである和田誠との顔合わせもこれが最後かと思うと、やはり哀しい。