青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『ボビー・フィッシャーを探して』フレッド・ウェイツキン

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ボビー・フィッシャーの名前が日本のメディアを騒がしたのは、2004年7月14日のこと。ながらく行方をくらましていたボビーが成田から出国しようとして入国管理官に身柄を拘束された事件だった。伝説的なチェス・プレイヤーでありながら、何かとトラブルを巻き起こすことで有名なボビー・フィッシャーは、アメリカの意に反してスパスキーと再戦したことで国籍を剥奪された後、各地を転々として行方が知れなかった。表題は、当然のことながらそれを意味している。

それでは、伝説のチェス・世界チャンピオンのその後のドキュメントかといえば、それはちがう。もちろん、筆者は題名にあるようにボビーの後を追い、彼の友人を自称する人々にインタビューを試みてもいる。だが、それはこの本の一部でしかない。映画好きなら知っているように、この本を原作とした同名の映画が1993年に公開(日本公開は翌年)されている。映画は、自分の息子にチェスの才能があることを発見した父親が、その子ジョッシュと二人三脚でチェスに精進し、同年輩の少年たちとの試合を勝ち抜いてゆく姿を描いた物語になっていた。

筆者のフレッド・ウェイツキンは、当時アメリカ中を沸かせていたロシア対アメリカのチェス世界選手権であるフィッシャー対スパスキー戦を見たことからチェスに興味を覚えるようになった。自身の才能には見切りをつけていたフレッドだったが、運動好きの長男ジョシュアが五歳の頃、ワシントン広場でチェスの賭け試合をする大人に興味を持ち、瞬く間に彼らを負かす腕前になると、ジョッシュはもしかしたらボビーの再来ではないか、という夢を抱きはじめる。

チェスのグランド・マスターであり、チェス雑誌にコラムも書いているブルース・パンドルフィーニに週一回レッスンを受けるようになったジョッシュは、全米選手権で一位の座を争うまで腕を上げるが、自分の勝手な思惑で息子にチェス漬けの生活を送らせていることに対する自責の念がフレッドにはあった。ジョッシュもまた、気の乗らないときには投げやりな手を打つことで、ブルースの叱責を受けるような子どもであった。学校に通わず一日中チェス漬けの生活を送るライヴァルの少年が登場することで、話は俄然面白くなるのだが、それは映画に描かれている。

実は、この本の面白さは映画の原作以外の部分にある。ボビー・フィッシャーの登場でアメリカにおいてもチェスは脚光を浴びるようになったが、アメリカにおけるチェスの認知度はかなり低い。ロシアにおいては、チェスは国家的な威信をかけた一大プロジェクトとして、教育機関も整備され、試合ともなれば、医師やらコーチング・スタッフが何人も集まってチームを作り、支援体制に怠りない。それに比べれば、アメリカでは試合会場に行くのは自費、サポートも得られない。そんな状況下でロシア代表スパスキーを倒したからこそボビー・フィッシャーは英雄視されたのだ。

そんなアメリカでは、グランド・マスターの称号を持っていてもタクシー運転手、その他の仕事をして稼ぐしかない。公園での賭け試合にグランド・マスターが顔を見せることもざららしい。ロシアとアメリカを比べ、アメリカにおけるチェスの置かれた状況を嗟嘆する筆者の憤りは激しいものがある。その一方で、チェスを文化として認めるロシア(当時はソヴィエト連邦)のユダヤ人や体制批判者に対する差別や冷遇を厳しく批判もする。

雲隠れしたボビー・フィッシャー以後の世界チャンピオンを決定するカルポフ対カスパロフ戦の観戦記事を書くために、ブルース、ジョッシュと三人でモスクワを訪れた旅のレポートが、社会主義政権下のソヴィエト探訪記事として出色の出来となっている。事前了承済みのはずなのに試合会場にも入れず、知人のコネで一人分のチケットを入手して入った会場の豪華さ、外国人向けに用意されたホテルの至れり尽くせりの設備、と対照的に入れもしない会場外に行列を作る民衆の姿。

アメリカ、ロシア、それぞれが抱えるチェス事情。チェスに人生を狂わせられた人々の人生模様。天才的な才能を持った子どもの親であることの重圧、と様々な視点からチェスにまつわるストーリーを多角的に物語る構成。ノンフィクションを謳いながら、警戒厳重なモスクワで監視の目をかいくぐり、インタビューした録音テープを無事アメリカに送るため、大使館に出向く場面では盗聴されているため、メモで会話したり、貸切のコンパートメントに有無を言わさずKGBらしき男が現われスーツケースを探られたり、とスパイ小説顔負けの緊張感溢れる展開を見せる。

しかし、最後はやはり二人の天才少年の対決できまり。何度もチェスから距離を置こうとし、師であるブルースともしっくり行かなくなったりしたこともあるジョッシュが、最後に見せる手とは。フィクションでもなかなかこうはうまくいかないだろう、とうならせられる絶妙のラスト。そして、天才少年はその後どうなったか。特にチェスに詳しくなくても大丈夫。「見てから読むか、読んでから見るか」というコピーがあったが、ようやく読めるようになった。映画もよかったが、原作はまた別の作品である。訳は若島正。チェス・プロブレムの名人もチェスはまた別らしい。団鬼六でもあるまいに「真剣師」のような将棋用語の採用にはいささか当惑した。