英国はコヴェントリー郊外に暮らす女系一家の物語である。母親のマーサを中心に姉妹が七人のヴァイン家。その末娘キャシーが産んだ子を養子に出すところから話がはじまる。何か大事なことがあれば、姉妹たちとその夫がマーサの家に集まって会議を開くのが、ヴァイン家の決まり。キャシーの子の父親は大戦中のG.Iで生死も定かでない。周期的に精神の変調が起きるキャシーに子育ては無理というのが家族の出した結論だった。
ところが、キャシーは男の子を連れ帰る。自分で育てることに決めたのだ。フランクと名付けられた子は、おむつが外れるまではマーサの家で、その後は母子ともに交替で姉妹たちの家で面倒を見ることに決まった。農場を経営するトムとユーナ夫婦。双子のイヴリンとアイナ。オックスフォードのコミューンに住むビーティとバーナード。エンバーマー(死体防腐処理者)のゴードンとアイダ夫妻の家が受け入れ先だ。オリーヴと八百屋を営むウィリアム夫妻は訳あって、対象から外された。
男と女の間にあるごたごたや、姉妹の間に起こる諍い、といったドメスティックなモチーフをめぐって家族の騒動がにぎやかに繰り広げられる。個性的な姉妹とその夫たちの人物像が印象に残る。女家長の風格が漂うマーサは別格として、自由奔放なキャシー、工場で働きながら学習し、オックスフォード行きを果たしたビーティが過激でたくましい。その恋人のバーナードは、フランクのおむつ替えが大の得意。オックスフォードの仲間で上流階級出身ながら愉快なジョージらマルクス主義者と八百屋のウィリアムや農夫のトムたちのやりとりはイギリスらしいユーモアにあふれている。
世界幻想文学大賞受賞作だが、一見ファンタジー色は薄い。「ちょっとおかしな人たちが出てくる『若草物語』」という訳者の評がぴったりだ。「ちょっとおかしな人たち」というのは、ほとんど死体同然のルックスをしながらエンバーミングを仕事にしているゴードンだとか、霊能力などないのに降霊集会を開く双子のことをさしているのだろうが、いちばんおかしいのはキャシーだろう。美人で若いキャシーの破天荒な振る舞いは痛快の一言に尽きる。
実はヴァイン家の一部の者には特別な力がある。ノックする音でドアを開けると、これから起きる出来事を告げる使者が見えるマーサは千里眼。死んだはずの父の姿が見えるキャシーは、人の心を操ることもできる。そして、フランクには死者の声を聴く力があった。一昔前なら魔女扱いされ、火あぶりにされる厄介な力である。賢いマーサはこの変てこな力を抑制することを知っていた。そして、娘キャシーの持つ力が月の満ち欠けの影響か、時々暴走することを危ぶんでいた。
「どの家の戸棚の中にも骸骨がいる」ということわざが英語にはある。誰にも人には言えない秘密がある、というような意味だ。この物語の中にも骸骨がいる。すべては、コヴェントリー・ブリッツ(空襲)の夜キャシーがとった行動に端を発していた。フランクの隠していた秘密が明らかにされた時、母は憑き物が落ちたように穏やかになる。ダンケルクから生還したウィリアムは明らかにPTSD。戦争を忘れるために仕事や家庭に逃げ込むが、五年もたってから戦友との約束を果たすことで困った状況に陥ってしまう。
和気あいあいとした家族愛にあふれた物語ながら、そこらここらに死体や骸骨が顔を覗かしている。戦争の落とした暗い影だ。コヴェントリーは作者の故郷である。この物語は、ドイツによる空襲で徹底的に破壊された街と夥しい死者への鎮魂と、復興への努力を称えるために書かれたのだろう。だからこそ、美しい街を作ろうとする市民を尻目に、賄賂目当てに計画変更を企て、復興を食い物にする悪徳政治家や業者に対する憎悪は激しいものがある。
コヴェントリーは、ゴディバ・チョコレートの名の由来となったレディ・ゴダイヴァの伝説が残る地である。重税に苦しむ領民を救うため、夫である領主の言いつけ通り裸で馬に乗り領内を一周した伝説も、ファンタジーの美しい衣を着せて話の中に織り込んでいる。読み返すごとに、幻想文学の色合いが濃くなっていく。人物や小物の使い方が巧みで、初読時に読み飛ばしていた細かなところに埋め込まれていた仕掛けに改めて気づかされるからだ。自らの作風を「昔ながらの奇妙な感じ」と評し、英国幻想文学大賞を六度受賞しているというグレアム・ジョイス。他の作品も読みたくなった。