青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『私の名前はルーシー・バートン』エリザベス・ストラウト

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くせになりそうな作家だと思う。自室に独りでいる自分の傍らに来て、低い声でぼつぼつと語りかけられているような、よほど親密な仲なら構わないが、そうでもない場合にはちょっと距離を置いた方がいいのではないか、と思わせるような、内心に秘かに隠されてあるものを中に手を差し入れてつかみ出して目の前に見せられているような、純粋ではあるのだろうが、この人とは友だちにはなれないな、と思わせるそんな気にさせる作家である。

何故そんな気になるのか。きっとこの人は読者を選ぶ、というかこの人の書く物を好きな人は、この語り手の視点に魅せられるからだと思う。ほとんどユーモアというものを感じさせない、ひどく乾いた語りである。いつも人を値踏みしながら観察している。自分にとって「いい人」なのか、そうではないのか。相手が自分にとって利用価値があるかないか、というのではない。こんな自分を受け入れてくれるかどうか、が判断基準なのだ。

話は、ルーシーが盲腸で病院に入院しているところからはじまる。すぐ退院のはずがなかなか退院できない。今暮らしているのはニューヨーク。病院の窓からはクライスラー・ビルが見える。夫は仕事と子どもの世話で忙しく妻に付き添えないので、妻の実家に電話をかけて母を呼ぶ。そんなわけで、故郷を出てから長い間会っていなかった母がある晩ベッドの先にいた。久しぶりに会った母が娘に語るのは、何故か昔の知り合いが結婚して、ほかに男を作って逃げた末、男に捨てられた話だとか、他人の不幸な噂話ばかり。これが伏線となる。

病院にいる五日間、母の語る知人の話を聞きながら、ルーシーは、これまで出会った人物のスケッチをまじえながら、自分の過去について語りはじめる。ジェレミーという古風な宮廷人のような紳士だとか、服飾店で出会った魅力的な女流小説家だとか、自分を診てくれている感じのいい担当医のことだとか。読者は、この語り手の心の中が何故孤独なのか、他者との関係をどうとればいいのかをいつも測ろうとしている理由が何なのか、次第に理解してゆく。

ルーシーは、中西部の貧しい家の生まれ。一家は大叔父の家の隣にあるガレージに暮らしていた。テレビはおろか、本も満足にない、夕食が糖蜜をつけたパンだけという貧しい生活。それでも父が働き者で優しい母がいて兄弟仲がよければ、家族で助け合って何とかやっていけるだろう。ところが、仕事の長続きしない父は時に娘を虐待し、縫物で家計を助ける母は父の言いなりである。姉とも兄とも心が通いあう関係ではない。家の貧しさのせいで、兄妹は学校では差別され、いじめられて育つ。

寒々とした家に帰りたくない少女は、学校が終わるまで教室で宿題をしたり、本を読んだりして過ごした結果、兄妹のうちでただ一人勉強ができ、シカゴ近郊の大学に進学する。一般的な家庭生活を知らないルーシーは、音楽やテレビの話題についていけず、人との間に距離感を感じるようになる。他人との間に間合いというものが取れず、話に入ったが最後切り結ぶしかない、そんなコミュニケーションの取り方といったら分かってもらえるだろうか。

それでも、男と知り合い、結婚して二人の子の母となる。子育ての間に書きためた小説が、文芸誌に掲載され小説家となる。いつか偶然街で出会った作家のワークショップに出席し、作家の現実の姿にも触れる。執筆のために必要なアドバイスも貰う。それらが、細かな章割りを通じて、看病に来てくれた母との会話や彼女の半生の間の出来事の間に、切り張りされたように混じりあう。そんな小説である。派手なところはないが、凡庸さも持ち合わせない。

いくつかの主題がある。アメリカに渡ってきた先人たちが「インディアン」に対してしたこと。当時話題となっていたエイズという病気のこと。同性愛者のこと。知人や自分の身の回りにいる人との関係の中から、自然に語り出されるそれらの主題は声高な主張とはならないが、自然に触れないではいられないことのように持ち出される。内省的で、静かな語り口ではあるが、譲れない一線というものを持つ。

自分に正直に生きることが、家族との間に溝を作り、都会で一人で生きることを選ぶ。それでも家族は家族であり、ほかの人を選ぶことはできない。そういう環境の中で育つことが、人にどのような生き方を強いることになるのか、ルーシー・バートンという一人の女性作家の視点で語る一人称小説。話者は母にとっては娘であり、夫にとっては妻。娘に対しては母であるという当たり前のことが、この人の語りで語られると何と不自由に聞こえることか。「私」の名前は、ルーシー・バートンだが、「私」とはいったい何者なのか?他の作品も読んでみたいと思わせる小説家である。