『嘘の木』フランシス・ハーディング
『種の起源』の発表から数年後のヴィクトリア朝英国が舞台。人のつく嘘を養分にして育つ「嘘の木」という植物が実際に登場するので、やはりファンタジーということになるのだろうが、なぜかミステリ業界で評判になっている。今年の第一位という評さえあるくらいだ。そうまで言われると読んでみたくなる。お約束のどんでん返しもあるし、謎解きの妙味もある。主人公の娘フェイスが持ち前の好奇心を武器に、父の死の真相を探るという立派なミステリになっている。
フェイスの父エラスムスは、牧師というよりも高名な博物学者として知られていた。ところが、あろうことか、エラスムスが発見した化石が実はねつ造されたものだという事実が新聞報道され、一家はケントの牧師館を追われるようにして去り、ヴェイン島に向かう。島の洞穴の発掘作業に招待を受けたのだ。スキャンダルから一時身を隠すには絶好の機会だと義弟が勧めるので、とるものもとりあえず船に乗ったのだった。
はじめは歓待されたサンダリー家だったが、ねつ造の件を伝える新聞は島にも届き、島民は手のひらを返したような態度をとりはじめる。そんなとき、父が不審な死を遂げる。父が大切に世話をしていた鉢植えの木を隠すため、フェイスが偶然見つけた洞窟に父を案内した後のことだ。父の死体は崖に生えた木にひっかかっていた。後頭部には傷があり、近くには死体を運ぶのに使われた手押し車が放置されていた。
問題は一家に対する島民の反感の強さだった。死因が自殺ではないかと疑われ、審問が終わるまでは遺体を墓地に埋葬する許可が出ない。フェイスは父の死は自殺ではなく、誰かに殺されたものと考え、捜査を開始する。手がかりは父の残した手記の中にあった。それには「偽りの木」を手に入れた顛末が書かれていた。それを育てるには嘘を聞かせねばならず、大きな実を成らせるためには大きな嘘が必要になる。そして、その実を食べることで真実を告げるヴィジョンを見ることができる。
ダーウィンによる『種の起源』の発表は、神は自分に似せて人類を創造したという説を真っ向から否定するものだった。肩に翼をもつ人間の化石のねつ造は、エラスムスが、人間誕生の真実を幻視するための大きな嘘だったのだ。秘密を知ったフェイスは、自分も嘘の木の実を食べてみる。それによって父の死の真相を幻視しようというのだ。ヴィジョンによる探偵というのは本格探偵小説の世界ではタブーである。しかし、ヴィジョンは暗示するだけで、いわば夢のお告げのようなものだ。事実を暴くには探偵が体を張るしかない。
嵐の晩には洞窟を通る風が吠えるような声を響かせる絶海の孤島。ランタンの灯りだけを頼りに小舟で渡るしかない岬の洞窟。自殺者は杭を打って分かれ道の辻に埋めるという因習に凝り固まった島民の敵意。そこへもってきて、ヴィクトリア朝の女性蔑視や子どもと大人の女性との間の年頃でどっちつかずのフェイスの年齢が持つ曖昧さが厄介になる。博物学者になりたいというフェイスだが、弟は寄宿学校に入れてもらえるのに、フェイスにはその選択肢がない。
フェイスの母マートルや郵便局長のミス・ハンター、その他の女性を描くことを通して、ヴィクトリア朝という時代設定を単なる飾りではなく、女が自立して生きるにはいかに困難な時代であったかをしっかり描いているところが特徴である。夫を立てるふりをしながら、実際は男がうまく動けるようにその環境を整え、手配するのが妻の仕事。そのためには、媚を売るくらいのことは、平気でやるのがマートルだ。はじめは母のことが嫌でたまらなかったフェイスが次第に母を見直すように変わっていく。
真犯人を探すための手がかりは、はっきり書かれている。視点人物はフェイスに限られ、彼女の知り得た事実は読者も共有できる。ファンタジー風味は極力抑えられ、伏線の張り方やフェアな叙述はミステリのそれである。周りを海に囲まれた島で、エラスムスを犯行現場に呼び出す手紙を書けたのは発掘作業に関わっていた者でしかありえない。フェイスは幽霊騒ぎや、偽のノートといった奇手を使って、犯人に揺さぶりをかけるのだが、やっと分かった真犯人は意外な人物だった。このどんでん返しがよく効いている。
犯人を見えなくさせているのが、物理的なトリックでなく、心理的なトリックであることがミステリ評論家に受けをよくしているのかもしれない。19世紀という時代そのものがトリックになっていると言っていい。「嘘の木」という仕掛けが、さして嘘くさく見えてこないのも、まだまだ人類が他の動植物と同じく、神の創造物であるという、いまとなっては戯言とも思われる考えが大手を振って歩いていた時代の話になっているからだ。あれこれと悩みながら、自分のアイデンティティを確立してゆく主人公に共感できる世代に勧めたい。