青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『ユリシーズ1-12』ジェイムズ・ジョイス 柳瀬尚紀=訳

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コロナの影響で家の中にいる時間が長くなっているので、ふだんはなかなか手をつける気になれない本を手に取ってみた。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』には、定本ともいえる丸谷才一ほか訳の集英社版『ユリシーズ』がある。『【「新青年」版】黒死館殺人事件』が同じ体裁をとっているが、本文の下に詳細な脚注がついていて、役には立つが参考書のような臭いがするのも事実。気の弱い読者ならそれだけで手に取るのを躊躇するだろう。

今回手にしたのは同じジョイスの翻訳不可能とも言われた『フィネガンズ・ウェイク』の日本語訳を成し遂げた柳瀬尚紀氏による新訳である。訳者の死により、第一章から十二章までで終わっているのが残念だが、語呂合わせやら独特の造語を配した個性的な訳は他に類を見ない。何より、文章の活きがよく、リズミカルな文体は、読んでいて愉しい。もっとも、独特の造語は一読しただけでは分かりづらく、一筋縄ではいかないことも覚悟する必要あり。

小説のあらましは丸谷訳の『ユリシーズ』について書いたものを読んでもらうとして、ここでは、旧訳と新訳の違いについて触れてみたい。第一章「テレマコス」の冒頭、バック・マリガンが司祭を気取ってミサの文句を口にするくだりだ。まず、丸谷訳から。

――なんとなれば、ああ、皆様方、これこそはまことのクリスティーン様、肉体と魂と血と槍傷ですぞ。ゆるやかな音楽を、どうぞ。諸君、目をつむって下さい。ちょいとお待ちを。この白血球どもが少々手間をかけておりましてな。みんな、静かに。

次に原文。

—For this, O dearly beloved, is the genuine Christine: body and soul and blood and ouns. Slow music, please. Shut your eyes, gents. One moment. A little trouble about those white corpuscles. Silence, all.

そして、柳瀬訳

――なんとなれば、よろしいかな、皆様方、これぞ真(まこと)のキリメト、肉体にして霊魂にして鮮血にして槍満創痍(やりまんそうい)。ゆるやかな音楽をお願いしますぞ。目をつむって、旦那方。ちょいとお待ちを。この白血球どもが少々ざわついておりましてな。静粛に、皆さん。

冒頭ということもあって、意識の流れの文体ではなく、説教師の口調をまねてはいるが、ごくごく普通の文章である。それでも、柳瀬訳の特徴は見て取ることができる。まずは< Christine>。丸谷訳は素直に「クリスティーヌ」としている。本来なら<Christ>であるはずのところを接尾辞<ine>をつけ加えて女性の名前に変えている。キリスト教、そしてイエズス会の教育を受け、棄教したスティーヴンに対する揶揄である。

柳瀬訳をよく見てほしい。「キリメト」となっている。「ス」を「メ」に換えることで「女」を暗示しているのだろう。片仮名の一画を切り取って移動させたようでもある。何気なく読んでいると気づかない細かな仕掛けが柳瀬訳にはふんだんに用意されている。言葉遊びの椀飯振舞である。

極めつけは「槍満創痍」。もちろんキリスト磔刑時の槍傷にかけ「満身創痍」という四字熟語をひねったものだが、神聖なるキリストを指す<body and soul and blood and ouns>の訳語のなかに「ヤリマン」などというみだりがわしい俗語を挿入するという、おふざけも過ぎる槍態(やりたい)放題。一事が万事この調子である。

もちろん、ジョイス自身が卑猥かつ好色な場面を故意に挿入していることを受けての訳業であり、恣意的なものでないことは言っておかねばなるまい。ひとつには、丸谷訳は、時代もあるのだろうが、その辺を過激にならないようにお上品にぼかしているようなところもあり、それに対する批判でもある。たとえば、オックスフォードのモードリン学寮でのいじめを扱った場面の最後。

I don’t want to be debagged! Don’t you play the giddy ox with me!

「ズボンをぬがされるのはいやだってば!ばかなまねはよせよう!」(丸谷)
「脱ぐなんて嫌だってんだろッ!牛津若道(ぎゅうしんにゃくどう)なんて嫌だってば!」(柳瀬)

<play the giddy ox>は直訳すれば「めまい牛を演じる」だが、古くから使われているイディオムで<giddy>は「動揺、所持または乱暴な行動」を意味するらしい。そこから想像できるのは丸谷訳の脚注にある「学生が行う私刑の一種、いやな奴のズボンをぬがせて嘲笑する」では済ませられないものがある。「牛津」は(ox)の渡れる「浅瀬」(ford)、つまりオックスフォード。「若道」は「衆道」の別名で本邦の同性愛「男色」を指す言葉である。英国の男子学寮で蔓延していた男性同士の同性愛をほのめかしているわけだ。

第一章「テレマコス」から、柳瀬氏の新解釈による「犬」の視点で訳される第十二章「キュクロープス」まで、創意工夫溢れる新訳『ユリシーズ』。一息に読み通すことは難しかろうが、こんなご時世である。家に籠り、一人でいることが推奨されているわけで、時間だけはたっぷりある。丸谷訳の脚注や北村富治氏による<『ユリシーズ』註解>、それに、ネットから手軽にダウンロードできる「Project Gutenberg」などを頼りに、じっくり取り組んでみるには絶好の機会だ。