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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『内面からの報告書』 ポール・オースター

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少し前に出た『冬の日誌』に続く自伝的な色彩の強い書物である。前作と同じように「君は」と二人称で語られる。『冬の日誌』が、小さい頃から今に至る身体の履歴について時間軸に沿って述べた物語であるのに対し、本書の体裁は少し異なっている。四部構成で、その第一部が表題作「内面からの報告書」で、主に十二歳までの自分に関する記憶を頼りに、自分というものが発生するに至る経緯をたどっている。

第二部は、やはり少年期の自分が影響を受けることになった二本の映画について語る「脳天に二発」。その映画とは『縮みゆく人間』と『仮面の米国』。前者はSF映画で、文字通り体が徐々に小さくなっていく男の恐怖を描いたもの。後者は第一次世界大戦の帰還兵が、帰国してから職を探すものの不況下に職はなく、果ては監獄に入れられてしまう。脱走に成功し、別人となった男に過去の罪が再び迫るという暗澹たるストーリーの映画である。

第三部の「タイムカプセル」は、著者の最初の妻で作家、翻訳者として知られるリディア・デイヴィス宛に書かれた手紙と、それについての作家のコメントによって再構成された、十代後半から二十四歳までの作家志望の青年の内面の赤裸々なリポート。相手と離れて暮らす若者が書いた手紙であるから、普通にはラブレターと解される類のものだが、そこは「君」らしく、今とりかかっている小説の進展具合や、友達との交友、教授に対する反目といった誰にでも覚えのある若き日の心情があふれている。

面白いのは第四部の「アルバム」だろう。「君」が心躍らせたアニメーションや、野球選手、ユダヤ人俳優からはじまって、のちに何度も悪夢となって襲い掛かるナチスの歩兵隊や、先に触れた二本の映画のスチール写真、パリ時代の街角のスナップなどが、ふんだんに配された文字通りの写真帳になっている。

「君」は、自分の内面を探ることについて、自分を特別だと思うからでなく、ごく普通の人間の代表としてとらえている。だからなのか、十二歳までの記憶に、特に印象的なものはない。地球を平面だと信じたり、コナン・ドイルやスティーヴンソンを読みふけったり、と少年期の男の子あるあるといった感じの話が続く。

一つちがうとすれば「君」ががユダヤ人であるということ。「君」の両親は、ディアスポラ以来ヨーロッパに渡ったユダヤ人の子孫で、その多くはユダヤ人に対して保護的な政策を掲げていたポーランドに住んでいた。ナチスによって迫害を受け、大量虐殺に遭う前にアメリカに渡ってきた祖父母のお陰で、この世に誕生することができた「君」は、物心ついて以来、事あるごとに自分がユダヤ人であることを思い知ることになる。

二人の親友が「君」の住んでいた地区から引っ越したのは、芝生のある家に住むために多くのユダヤ人が引っ越してきたので、元からいた人たちが出て行ったのだ、と母から聞かされる。まちがって友達に怪我を負わせたときは、「お前らのような種は」と罵声を浴びせかけられる。アメリカは素晴らしい国で、自分はアメリカ人だと信じていた「君」にとっては容易に理解しがたい事態であった。

メジャー・リーグをはじめ、ユダヤ人のスポーツ選手は稀で、ギャング映画の顔役として知られるエドワード・G・ロビンソンは本名エマヌエル・ゴールデンバーグ。あの妖艶な美人女優ヘディ・ラマーはヘートヴィヒ・キースラー。役者として売れるにはユダヤっぽい名を捨てる必要があった。近くに住んでいたので憧れの対象だったエジソンは、同じ床屋に通っていたが、自社で働いていた社員である「君」の父がユダヤ人だと分かると即刻解雇した。

そう考えると、『縮みゆく人間』や『仮面の米国』の主人公を自分だと感じる「君」の内面がどのように形成されつつあったのかも理解できる気がする。それまで、難なく同調できていた周囲から、あるとき不意にズレていく自分という存在についての自覚。どれほど努力して、周囲に溶け込もうとしても執拗に正体を暴こうと迫る者たちがいることへの恐怖心。ただ、「君」はそれに負けはしなかった。仮令孤立しようともユダヤ人として生きてきた。

個人的に懐かしかったのは、コロンビア大学における紛争に「君」も参加し、逮捕されていたことを知ったことだ。いうまでもなく映画『いちご白書』として描かれ、一躍有名になった1969年のあの紛争である。今の人たちにとってはバンバンが歌った『「いちご白書」をもう一度』の方が、まだ記憶に残っているのかもしれないが、当時大学生活を送っていた者として、ニール・ヤングやCS&Nの名曲に彩られたあの映画は忘れられない。

当時ソルボンヌに留学していた「君」は、頑迷な担当教授とぶつかり、授業をボイコットしてしまう。中途退学となれば、徴兵猶予の待遇を失うこととなり、ヴェトナム戦争が激しさを増していた当時、アメリカに帰国すれば、徴兵されるか、拒否することで逮捕されるか、またはカナダに向かうしか手段はなかった。人生最大の難問にぶつかった「君」の心の揺れを示すリディアへの手紙は読んでいても痛々しい。

「君」の内面ともいうべきものが生まれ、両親の不仲やユダヤ人という境遇を背負い、果敢に戦い、時には崩壊寸前にまで追い込まれながらも、青年期の危機を乗り越え、やがて成熟した大人となるまでを描く。大人になるということは、何かを喪失することでもある。日記を書かなかった「君」は、覚束ない記憶を手探りし、昔の写真や、妻宛の手紙を手掛かりに今はもう失われてしまったものを再現することに成功する。六十も半ばを過ぎた作家の手になる内面への遡行の旅の何というみずみずしさであることか。