2014-01-01から1年間の記事一覧
主人公スティーブンスは、ダーリントン・ホールと呼ばれる由緒正しい名家の執事である。大戦後、ダーリントン卿は失脚、館はアメリカ人ファラディ氏の所有するところとなる。家付きの執事として仕えることになったスティーブンスに新しい主人は、一度ゆっく…
『劇的ビフォー・アフター』というテレビ番組がある。狭小住宅や危険家屋で暮らす施主の依頼に応え、その家屋をリフォームする過程を、司会者とゲストがクイズなどに答えながら視聴者とともに見守り、リフォーム前と後の落差に感動する施主の反応を見て楽し…
ガルシア=マルケスの訃報に接し、その死を悼んで何か書きたいと思ったが、『百年の孤独』はもとより、すでに多くの著書や関連する書物について書いてしまっている。そこで、あらためて翻訳された書名を眺めわたしてみたところ、未読の短篇集を一冊見つけ出し…
表題はエピグラフに引かれたヘミングウェイの「たしかに、狩りをするなら人間狩りだ。武装した人間を狩ることを長らくたっぷりと嗜んだ者は、もはや他の何かに食指を動かすことは決してない」(「青い海で―メキシコ湾流通信」)から採られたもの。いかにも物…
現役の映画監督による、「映画と演出の出会う場所から映画を再考する」という視点からの連続講義。映画学校で生徒を前に講義した内容を原稿化したものである。ところで、『映画術』という表題を持つ本には、すでに晶文社刊『定本 映画術 ヒッチコック/トリ…
話は一四九八年三月のある日に始まる。ロンバルディア平原が驟雨に見舞われたこの日、ミラノ城にモーロことルドヴィーコ・マリア・スフォルツ公を訪れたのは、サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ・ドミニコ修道院長であった。院長は食堂の壁に描かれるは…
写字室というのは、中世ヨーロッパの修道院で写本をする人が使った部屋。映画『薔薇の名前』に、そういう部屋が出てきたのを覚えている人も多いだろう。他の使用に供さず、ただひたすら物語を紡ぐことだけのために用意された部屋。主人公が収監されている(…
「豊国祭礼図屏風」とは、慶長九(一六〇四)年八月、秀吉の七回忌に執り行われた豊国神社臨時祭礼の模様を描いた六曲一双の屏風である。現存する作品が二点あり、ひとつは京都の豊国神社所蔵の狩野内膳作、もう一点は名古屋の徳川美術館蔵の岩佐又兵衛作と…
『アヴィニョン五重奏』は、文字通り五部作。「コンスタンスあるいは孤独の務め」は、その第三作、サイコロの目でいうところの真ん中にあたる作品である。それだけに本作は前二作に比べても一段と重厚さを増し、後に続く二部作を見通す要衝として、その重み…
『ロンド』の作者が満を持して書いた長篇第二作である。北斎の「赤富士」のように、墨一色で描かれた富士の絵をめぐるミステリかと思って読みはじめたのだったが、どうやら違っていたようだ。富士山を舞台にした伝奇ロマンとでもいえばいいのだろうか、国枝…
身も蓋もない書名に、少し引いてしまったが、あの『シンポジウム』を書いたミュリエル・スパークである。まず間違いはないだろうと思って読みはじめた。巻頭を飾るのは「ポートベロー・ロード」。過去と現在二つの時系列を平行させ、思春期を共に過ごした男…
「ウロボロスの蛇」というものがある。自分の尾を呑み込もうとする蛇を環状に描いた図像で表され「永劫回帰」や「死と再生」などの象徴として幾多の民族、宗教によって用いられている。本書を読み終えて、そのまま最初のページを繰ろうとしかけ、第一章の標…
ル・カレは二度読め。一度目は話(ストーリー)の筋を追うために。二度目は話を存分に楽しむために。ストーリーを展開してゆく上で提供される人名、地名、所属庁名等々の情報量が尋常でなく、一度読んだだけでは、それを追うのに必死で、なかなか物語を味わ…
一五八九年秋、プラハのユダヤ人街はペスト禍に見舞われていた。婚礼の席で余興を演じて金を稼いでいる二人組の芸人は仕事ができず、供え物の銅銭目当てに墓地に向かう。彼らはそこで顔見知りの少女の幽霊を目にし、高徳のラビの家を訪ねる。ラビに命じられ…