青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『燃焼のための習作』堀江敏幸

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いつかは書かれるべくして書かれた小説といえるかもしれない。同じ作者によって何年か前に書かれた異国の河岸に係留された舟を住まいとする青年の静 謐な日常を記した『河岸忘日抄』なる小説がある。その年若い主人公には故国に「哲学的な」話題を話し合える年上の知人がいて、その名が確か枕木であったと 記憶する。遠く離れて暮らす二人の交流の手段は手紙だったから、枕木は名のみ知らされていただけの人物ではあったが、不思議に印象に残る人物ではあった。

バルザックの『谷間の百合』や『ゴリオ爺さん』が、それぞれ単体の小説でありながら、それら全ての小説群が壮大なスケールの『人間喜劇』の世 界を作るように、作家には自分の創作した人物が独り歩きして別の小説世界を歩き始めてしまうことがあるのかもしれない。それとも、書かれていないだけで、 そもそも事のはじめからそういう人物が想定されていたのかも知れない。

そこは堀江敏幸の小説であるからして、話らしい話が起きるわけではない。市井に住まう名もない人びとの何気ない日常生活におきる出来事を淡々と、しかし滋味溢れるユーモアを配した筆致でさらりと描いたスケッチに淡彩を施したような小説世界があるばかり。

主たる登場人物は三人。風に乗って潮風が海の匂いを運んでくるような運河沿いに建つ古い貸しビルの二階に、頼まれた仕事なら何でも引き受ける 「便利屋」の事務所を構える枕木と、その事務所の雇い人の郷子さん。そして、事務所を訪れた依頼人の熊埜御堂という珍しい名の中小工場の経営者。時ならぬ 雷雨に降り込められたかたちの三人が、雨夜の品定めならぬ四方山話に時を過ごすといった体。

「探偵」が事務所で人探しの依頼を受けるのが発端なのだから、ジャンルから言えば探偵小説のスタイルだろう。ただ、聞き手が心理療法士よろし く、どこまでも相手の話を妨げることなく聴くというスタイルで、おまけに時折り合いの手のように自分の回想を織り込んで話しはじめるものだから、いつまで たっても依頼人の頼みごとがなにであるかにたどりつかない。そこへもってきて、途中から話に割り込む形になった聡子さんが、枕木に輪をかけての話好きだか らたまらない。話は右往左往し、何人もの人物に纏わるエピソードがアラビアンナイトのように入れ子状に錯綜して収拾がつかない。

どうやら枕木は、相手が警戒心を解いて自ら話し始めるのをいつまでも待つことのできる類まれなる聞き手らしい。そうして話が引き出せれば問題 はほぼ解決されているというのだ。問題というのはそれを解くより、問題を提出する方が難しいものだという枕木の言葉には成程と思わせられた。薄毛で小太り の中年男という、およそ外見からは魅力を感じることのできない枕木の面倒を郷子さんがみているのもそこらあたりが理由らしい。

依頼人である熊埜御堂もまた枕木の産婆術によって自分の過去を語りだすことをためらわない。こうして、どこにでもあるような話に細やかな陰影 が付され、男二人の会話には哲学的な切り口さえ仄見えることになる。もっとも、聡子さんの介入によって話が徒に晦渋になることは慎重に避けられている。こ のあたり作家の成長ぶりを感じるとともに、以前の堀江敏幸が少し懐かしくなったりもする。

身の回りの細々とした小物にも一言あったこの作家が提出した今回の主人公は、ネスカフェにクリープ、それにこれだけはこだわりのある赤いス プーン印の角砂糖をほうりこんだ「三種混合」なる飲み物をひっきりなしに飲む。仕方なしにお相伴する依頼人は腹具合が悪くなり、富山の薬売りの置き薬、赤 玉を白湯で飲む始末。しかも、その後空腹になった三人はスパゲティとお握りを作って食べるという、どこまでもゆるい設定に堀江敏幸の変貌を見るのは評者だ けだろうか。

表題の「燃焼のための習作」は、枕木のかつての依頼人の話の中に出てくる風見鶏ふうのオブジェの名前。明朗なタッチで綴られるこの小説の中 で、成就されることのなかった愛を描くそこだけは唯一暗い情念のようなものがたゆたう世界が現出している。エピソードとエピソードを記憶に残る声や音、物 の名前、ある種の形といった些細なものごとでつなぐ連想ゲームのような中編小説。物語性をできるだけ回避しつつ、それでいてそこにあるのはあくまでも小説 でしかない、といったちょっと手の込んだ作風になっている。話の間に挿まれる風雨や雷鳴、空き缶の転がる音の精妙な描写にこの作家ならではのセンシティブ な持ち味を堪能できる。善意の人しか登場しないのに、どこかやるせない後味の残る佳編である。