青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『メインテーマは殺人』アンソニー・ホロヴィッツ

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斬新な手法で読者をあっと言わせた『カササギ殺人事件』のアンソニーホロヴィッツが、今度は正攻法で読者に挑む、フェアな叙述による謎解き本格探偵小説。しかし、そこはホロヴィッツ。大胆な仕掛けがある。なんとホロヴィッツ自身がワトソン役となって作中に登場し、ホームズ役の探偵とともに事件を捜査し、身の危険を冒しつつ解決に導くというから愉快ではないか。

ホームズ役をつとめるのは元ロンドン警視庁の腕利き刑事ダニエル・ホーソーン。過去に問題を起こして免職となったが、その腕を惜しむ元上司がいて、難事件となるとお呼びがかかる。警察の顧問(コンサルタント)として独自に捜査を行うというからまさにホームズそのもの。ただし、このホーソーン、口は悪いし、人付き合いも悪い。仲間内では鼻つまみ者で、妻とも離婚し、今は一人暮らしという、いささか剣呑な人格の持ち主だ。

ホロヴィッツとの接点は『インジャスティス』というテレビ番組の脚本を担当した時、ホーソーンが警察のやり方を教える係として一緒に行動したことがある。そのときも、頑固で自分の意見に固執する融通の利かないやり方に閉口したホロヴィッツは、二度と組みたくないと思っていた相手。ところが、ある日、そのホーソーンから一度会って話がしたいと電話がかかってくる。その話というのが、今自分が関わっている事件が面白い。本にしないか、というものだった。

しばらく会っていなかったはずなのに、会うやいなやホーソーンは作家の近況をすべて知っている口ぶり。不思議がる作家にホーソンがその推理を語って聞かせる。靴に砂が付着しているから別荘から帰ってきたばかり。ジーンズに犬の足跡がついているから犬を飼った。たぶんその犬は仔犬だ。靴ひもを噛んだ跡がある。と語り口がそのままホームズだ。はじめは断るつもりだった「わたし」も、ついつい話に乗せられて相棒役をつとめることになる。

事件というのが、資産家の老婦人が自分の葬儀の契約のために葬儀社を訪問したその日の午後に殺される、という偶然にしては話がうますぎる事件。しかも、被害者の息子はハリウッドの人気俳優ときては話題性に事欠かない。しかし、夫人はその人柄ゆえ誰にも好かれていて殺される理由が見つからない。警察は物盗りの犯行とみるが、ホーソンの見るところ、これは泥沼案件。そうこうするうち、葬儀のためにアメリカから帰国した息子が殺される。母子二人が殺される理由は何か、という「ホワイダニット」のミステリ。

実は十年前、夫人は眼鏡をかけるのを忘れて車を運転し、二人の少年をはねている。一人は死亡、もう一人は助かったものの脳に損傷を受けて障碍が残った。夫人は逮捕されたが裁判の結果無罪となった過去がある。殺される前、母が息子に送ったメールに「損傷(レスレイテッド)の子に会った、怖い」という文面が残っていたことと、脅迫状ともとれる手紙が残されていたことから、その子、もしくは親の犯行ではないか、と「わたし」は考える。

本格探偵小説もいろいろあるが、ホロヴィッツアガサ・クリスティがお好きなようだ。個人的にはクリスティは、好みではない。しかし、今回ホロヴィッツはフェアな叙述を心がけていて好印象。ただ、ホームズ物の新作を依頼されるほどの作家のはずなのに、実際の捜査に不慣れなためか、大事なところでホーソーンの注意をそらせたり、ミスディレクションを誘ったりする。これが効果的に用いられていて、容易に謎を解かせてくれない。

面白い設定で、まず小説の第一章が置かれているのは当然のことながら、第二章は作家、脚本家としてのホロヴィッツの仕事について触れている。コナン・ドイル財団に依頼されて、ホームズの登場する探偵小説の新作『絹の家』を書きあげたばかりで、テレビ・ドラマ『刑事フォイル』の脚本の仕事も終わったところ、というのは事実。次の仕事にかかろうとしていた矢先、ホーソーンが現れた、というところから虚構となる。第一章は、その新作の初稿ということだ。

「わたし」の仕事は、ワトソン役となってホーソーンに付き添って、現場に足を運び、目撃者や容疑者の話を聞き、メモを取り、事件解決後はそれを本に書いて出版するということだ。もちろん、読者が今手にしている本がその完成作、という設定。どこまでが本当でどこまでが虚構なのか、何やら番宣めいた、スピルバーグピーター・ジャクソンと映画『タンタンの冒険』の続編を撮るという話まで出てくるが、どうやら本当にあった話らしく、驚いた。

もちろん事件は虚構なのだが、その中に作家自身が関係する事実が混じるので事件がさも同じ頃に起きていたような錯覚が生じる。『カササギ殺人事件』でも、作中作が事件と絡み合っていたが、ホロヴィッツという作家は、こうした仕掛けがお気に入りのようだ。しかし、今回はホーソーンから、見たこと、聞いたこと以外は書いてはいけない、という縛りがかけられているので、読者は探偵たちとフェアな戦いができることは約束されている。

現実に、手がかりは目立つように書かれている。ホーソーンが意味ありげに呟いてみせるのもヒントになる。ただし、頭のどこかには残るものの、最重要な手がかりが登場してくるまで、犯人を絞り込むことができない。前作でアナグラムを使用しているホロヴィッツのことだ。メールに残る「損傷(レスレイテッド)の子」というのが鍵なのだが<lacerated>で合っているだろうか。いつも思うことだが、こういう箇所は原文を記すくらいの配慮が欲しい。勘のいい読者なら、それで分かるかもしれないのだ。

チェーン・スモーカーの探偵、ホーソーンという人物がよく描けている。個人的な話や世間並みの挨拶は一切抜き。一度口を閉じたら二度と開かない。ポリティカル・コレクトネスなど知ったことか。いつも単独で勝手な捜査をするため相棒がいない。裡に秘めた暴力性や同性愛者や小児性愛者に見せる憎悪、子どもに寄せるシンパシーからは、過去に何かある人物であることは伝わってくる。本人が考えた『ホーソーン登場』という題名からして、シリーズ物の第一作と考えられる。謎につつまれた探偵については、おいおい明らかになることだろう。次回作が楽しみなシリーズ物の誕生である。