青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『10ドルだって大金だ』ジャック・リッチー

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洒落た会話、シャープな文体、ひねりを効かせた展開、あっと驚くようなオチ、というのがジャック・リッチーの持ち味。2016年に早川書房から出た『ジャック・リッチーのびっくりパレード』を初めて読んで以来、すっかりはまってしまった。2013年には同じポケミスで『ジャック・リッチーのあの手この手』も出ている。『10ドルだって大金だ』は、2006年に河出書房新社から刊行されたもの。全部で十四篇の短篇集だが、先に挙げた二冊と比べても遜色ない出来栄えにまとまっている。

「結婚して三か月、そろそろ、妻を殺す頃合だ」という書き出しではじまるのが「妻を殺さば」。温室と納屋を探しても見つからない毒薬の在りかを、殺す当の相手に「ヘンリエッタ、毒薬はどこにある?」と尋ねるところからして、リッチー節炸裂だ。このオフビート感がたまらない。「仕事を義務だとか、喜びだとか、やりがいだとかと感じたことはないし、日ごろから、仕事を楽しんでいる人々は基本的にマゾヒストなのだと思ってい」るウィリアムは、生まれてから四十五年間働いたことがない。

「これまで他人がその慣習に従うのに異を唱えたことはない。平凡な精神というのは、何かに打ち込まずにはいられないものだ。労働にせよ、漫画本にせよ、結婚にせよ。それでも、わたしは常に独立した立場を大事にしてきた」。たとえ構成人数が二人でもチームに入るのは気が重い。金のためにした結婚なら三か月くらいが切り上げ時、というのが、殺しの理由というのだから、ふるっている。いいねえ。この人を食った言い種。

財産が目的だから、家計の支出にも目を光らせる。すると、不明朗な会計が見つかる。使用人が鷹揚な女主人を食い物にしていたのだ。首をすげ替えることで、食事は美味しく、時間通りに出るようになる。この悪党のすることなすことがいちいち、妻のためになっていくところが最大の皮肉。財産目当てで妻を殺そうという男なのに憎めない。逆に無邪気なはずの子どもは、ずる賢くて可愛げがない。庭に放り込まれた青酸カリの丸薬を家のどこに隠したのかを尋問する刑事が子どもの狡知に手を焼く「毒薬で遊ぼう」が、まさにその見本。

オチの秀逸さで目を引くのが表題作。会計検査で見つかった余分な十ドルを金庫に入れたのは誰なのか?二人の従業員はそれぞれ自分が犯人だと名乗り出るが、信用が落ちるのを防ぎたい銀行家はもみ消しを図る。翌朝、再度検査をする直前、余分の十ドル札を抜けばいい。従業員と申し合わせ、金庫の開く時間にやってくるはずの検査員の足止めをたくらむが、果たして。クリスティー張りの叙述トリックの大胆さにあきれる。

死体を隠すには自宅の庭がいいというのはこの作家の持論。「とっておきの場所」は、その死体の隠し場所を主題にした一篇。ウォレンは自分が疑われていることより、丹精した庭を警官たちに掘り返されることの方を気にしている。そんな時、隣人がウォレンは湖畔に夏用の別荘を所有していることをばらしてしまう。さて、死体はどこに?盲点を突いた隠し場所と殺人方法にニヤリとさせられる。

リッチーの短編に常連の二人の探偵も登場する。一人目はこの作品が初登場なのか、ボクサーとして登場する。外套も帽子もスーツも靴も黒一色で身を固めた男。服は上等だが、寝る時もそれを着ているくらいくたびれていた。力は強くパンチ力も抜群ながら、光恐怖症(フォトフォビア)があって試合は夜しかできない。キッド・カーデュラ(Cardula)というリングネームでさっそうと登場したこの男の正体はもうお分かりのことだろう。

もう一人は、ヘンリー・ターンバックル。作品により、警察に勤めていたり、私立探偵だったりするが、相棒のラルフとのコンビは今回も健在だ。知識は豊富で、抜群の推理力を誇り、鮮やかに謎を解いてゆくのだが、どこか過剰で必要以上に謎を解きたがり、その結果すべりまくるという迷探偵ぶりが笑わせてくれる。今回は五篇を所収。

「誰も教えてくれない」は、私立探偵開業後の初仕事。失踪人探しという私立探偵にはお約束の仕事の依頼。失踪した女中頭を探さずに報告書だけ送れといわれて、ピンときたターンバックルは匿名の依頼主の家をまんまと探り当て、調査を開始。すると、相前後して依頼主の息子と娘が父と同じ内容の調査を依頼に来る。失踪人は殺されていると考えた探偵が犯人だと指名したのは、何と執事!いつものやり口である。

探偵小説では、使用人が犯人というのはご法度。横紙破りのリッチーは、面白がってその手を使う。しかも、それは簡単に覆されて、真犯人が別にいることが分かる。しかも、何ということでしょう。通常なら序盤から登場していなければならないはずの犯人の存在が、最後になって探偵と読者に知らされる。こんないい加減なミステリがあるものか、と怒ってはいけない。重々承知した上での悪ふざけというか、メタミステリになっているのだ。

六人の連続殺人を予告する手紙が犯人から送られてくる。五人が殺され、警察は共通点を探すが見つからない。被害者の名前はセルヴァンティーズ、ジャクスン、リヴィングストン、ニューマン、ルーベンス。どこかで聞いたような名前ばかりだ。もう一つの手がかりは手紙に署名代わりに記されている<10/19/1>。手口からプロファイリングした犯人像と二つの手がかりからターンバックルは犯人に迫るが、大事なところで読みを誤る。「殺人の環」はクリスティーの『ABC殺人事件』を嚆矢とする「見立て殺人」をパロッている。さて、共通点は何か?アルファベット順というのがヒント。

クールな中にそこはかとなくユーモアが漂い、深く考える間もなく、あれよあれよという間に犯人が分かってしまう。最近流行りの猟奇殺人は登場しないので後味がいいし、凝りに凝ったミステリとちがって、淡々と語られるストーリーは、ひねりが効いているものの満腹感はない。一度手にすると、次々とページを繰る手がやめられない、止まらない。しかも、どの作品もはずれがない。まさに職人技。器でいうなら普段使い。シンプルでいて飽きることがない。ふとした折に手にとれるように、いつも手元に置いておきたいのが、ジャック・リッチーだ。