青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『2666』ロベルト・ポラーニョ

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A5版二段組855ページというボリュームを持つ超巨編。かなり無理して要約すれば、ベンノ・フォン・アルティンボルディという小説家をめぐる物語といえよう。作家は亡くなる前に全五章に及ぶ長編の一章を一巻とした全五巻の形で刊行するよう家族に言い残したという。

たしかに、ロレンス・ダレルの『アレクサンドリア四重奏』を想像してもらえればいいと思うが、あのスタイルで刊行されても特に問題はないように思う。一章がそれぞれ異なる話題や人物、それにスタイルを持って独立した小説になっているからだ。

第一章「批評家たちの部」は、ノーベル賞候補作家の一人にあげられながら人前に姿を見せないというトマス・ピンチョンを思わせる作家アルティンボルディの研究者四人が主人公。英仏伊西に住む女一人、男三人の批評家たちの三角関係ならぬ四角関係を都会的な恋愛小説風に描いた音楽でいう導入部。読者を小説の主たる舞台であるメキシコはソノラ州にあるサンタ・テレサという町に導く役割を果たす。

続く第二章「アマルフィターノの部」は、第一部の最後で批評家たちを待つメキシコ在住のアルティンボルディ研究者であるアマルフィターノが視点人物。別れた妻との関係や残された娘との生活を描く合間に、チリ人である自分が哲学教授としてサンタ・テレサで教鞭をとる意味についての自己省察が混じる。

第三章「フェイトの部」は、がらりと印象が変わって主人公はアフリカ系アメリカ人の記者フェイトが主人公。文化部の記者としてブラック・パンサーの伝説的人物をインタビュー中、死んだスポーツ記者の代わりにサンタ・テレサで行われるボクシングの観戦記事を書くことを命じられ、当地を訪れる。フェイトはそこでメキシコ人記者と付き合っているアマルフィターノの娘と出会う。

第四章「犯罪の部」は、サンタ・テレサとその郊外で多発するレイプ殺人を追う捜査陣をドキュメンタリー・タッチで描くクライム・サスペンス。二百とも三百ともいわれる事件の記録を羅列する即物的な記述に「異化」の効果がはたらいている。

そして、最終章「アルティンボルディの部」で、ようやくアルティンボルディ自身が登場する。作家アルティンボルディ誕生の経緯が伝記風に描かれることで、その他の章に登場する人物との関係が一気に明らかになる。名前が覚えられないほど多数の登場人物が、意外なところで出会っていたり、関係を持っていたりするが、隠されていた人物同士がここで結ばれ、人物相関図が浮かび上がるという仕掛け。一度読んだだけでは充分に楽しむことはできない。まずは、通して読み、気になった部分は再読時に当該部分に逐一当たって確認しながら進むといい。二段組855ページに再挑戦する気があれば、だが。

たしかに面白い小説だ。構成もよく考えられているし、人物造形も魅力的で印象に残る。また、メキシコという土地の乾ききった気候風土やそこに住む人々の気質や風俗も的確に捉えられている。執拗とも思えるほど書き込んでいく手法が、繰り返しによる強調効果を生み、厚みのある叙述となっている。

本、あるいは文学作品への言及も一つの特徴として上げられるだろう。一例を挙げれば、地下水路で繁殖するアリゲータを狩るハンターについての挿話がさりげなく語られるが、あれなど、ピンチョンから借りてきたエピソードにちがいない。読者の関心の度合いに応じて反応する記号が随所に埋め込まれている。それらを探すのも楽しい。

インターテクスチュアリティとでも言えばいいのだろうか、他の作家の作品や自作、映画その他も含めた先行テクストの引用、暗示、剽窃がテクストを開かれたものにしている。作中、一人の作家に語らせているが、すべてはすでに書かれている。いわば、すべてが盗用なのだ、という理論を実践して見せたのが、この作品といってもいいかもしれない。いずれにせよ、厖大なテクスト群を呑み込んだ超重量級の小説である。一冊にまとめたことにより、関連する記述を検索するには便利になったが、如何せん重い。持ち重りするなどというレベルではない。本というものの持つ重みを改めて思い知らされた。電子書籍に相応しい一冊かもしれない。