青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『やちまた』下 足立巻一

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下巻は春庭の主著のうち、自動詞、他動詞について考えを述べた「詞の通路」についての記述からはじまる。文法論のこととて国語学に詳しくないものには少々難しい。それよりも、著者の身辺雑記のほうが、読者としてはよほど興味が湧く。同じ家を借りて自炊生活を送る相棒の腸(渾名)との暮らしぶりは、相変わらずの自堕落なもので、二軒茶屋近くの勢田川で釣り上げた鰻を蒲焼にしようと勇んで持ち帰るものの、小刀で腹を割こうとして果たせず、ぶつ切りにして味噌汁の中にいれて食すなど、行き当たりばったりの野放図な様子が、いよいよ厳しさを増す時代を背景にすることで、いっそう明るさを感じさせる。

著者自身が「春庭考証のきわめて私的な記録」と呼ぶ「やちまた」は、上巻を評した際にも述べたが、他に類を見ない一風変わった書物である。それというのも、著者が本居春庭という人物とその主著である「詞の八衢」成立事情について調べ、論文を書くことを思い立ち、古文書を読み解き、方々を訪ね歩いては土地の古老に話を聞き、探し当てた関係者の墓所に残る碑文を判じる、いわばフィールドワークについて述べた部分が中心となる。

さらに、宣長、春庭にまつわる本居学派の本流、傍流、学友、知人、後援者といった人々の生年、享年、事跡、著書等々調べ上げたことを細大漏らさず書き記した厖大な評伝がある。関係の濃さの違いで、記述も粗略なものから、著者の想像を交えてフィクション化したものまで、その描き方に差はあるが、江戸時代国学者の一大ネットワークがそこに現出する様は圧巻である。当時の交通事情、出版事情を考えると、その精進ぶりに圧倒される。昔の人は本を読みたいときは所有者に手紙を書いて借りて読み、コピー機もないから筆写し、返却してはまた借りる。その都度礼状がやりとりされる、その書簡で交友関係が知れるのだ。

そして、著者が「きわめて私的」といわざるを得ないのが、それら春庭考証とは直接に関係しない、著者が学生時代を送った皇學館時代の学友、教授陣の当時とその後の人生を追った人間関係の記録である。朝鮮、満州への修学旅行に始まり、戦中、戦後に至る怒涛の時代を共に生きた人々に向ける思いが、これを割愛することをよしとしなかったのだろう。古文書の紙魚の陰からうかがう古人の逸話とちがい、生身の人間が語り、泣き、笑う部分は、格段に精彩を放つ。小説とは銘打っていないが、この部分に関する限り紛れもなく小説になっている。それもかなり読ませる。

述べて作らず、という姿勢で書いたと思われる春庭の文献渉猟の部分においても、事実は小説より奇なり、を地で行く話が次々と紹介される。著者の熱意の賜物ともいえるが、はるばる現地を訪れたのに手がかりが得られず気を落としているところに通りがかった人があって、その人の口から貴重な文反古の所在が知れるなどということが度々起こる。特に大きなものとしては、本居宣長旧宅に付属する、ずっと締め切りだった土蔵から貴重な文書が発見されるところである。毎年の八月、松阪を訪れ、下着姿で汗にまみれながら資料を撮影していた著者をどこかで見ていたものでもあろうか。屏風の下張やら、大学教授の机の抽斗やら、次から次へと春庭に関する手紙が発見されるのには正直どこか神懸りな感じさえ漂うのだ。

古書ミステリなどに文献を手がかりに、謎を解く探偵が出てくるが、著者のやっていることはまさにそれである。ただ天才的な推理力を持つホームズやデュパンではなく、こつこつと地道に証拠を固めてゆくクロフツの『樽』に登場する刑事のような粘着気質のそれだ。長年月をかけ、次々と出てくる新しい資料をそれまでに手にした資料と突合せ、矛盾点を暴き、人物相互の関係をつきとめ、裏に隠された人間心理を読み、こうでしかありえない、というところまで推論を突き詰めてゆく。

それによって明らかになるのは、春庭の「詞の八衢」は、本人のいうような独自の発想ではなく先行する学者の説によることが大きい、という国文学上の定説に対する著者の疑義に正当性があるかどうかということに尽きる。「きわめて私的な記録」といいながら、友人、恩師に関する記述は懇ろであるのに、自分の家族についてはほとんど何も書いていない。宣長にはじまる本居家の固い結束、春庭に対する妹弟の兄弟愛や、親友の腸や義兄の遮漠の妻や子にかける愛情について、あれほど仔細に書き連ねながら、自分の家族については口を閉ざして語らないストイックさはどこから来るのだろう、といささか不審に思った。白江教授の「語学者には春庭のような不幸な人や、世間から偏屈といわれる人が多いようですねえ」という感慨が思い返された。

何度も訪れる松阪や伊勢の姿が、年を経るごとに変貌を遂げてゆくのが、丁寧な描写の中から読み取れることも、地元の人間にとっては貴重な証言になっている。著者が同窓会を開いた、創業嘉永と文中にある旅館は、おそらく今も続く「麻吉」だろう、扉を閉めたままの大きな旅館というのは「大安」で、随分前に廃業し今は分譲住宅が建つ。文中に名前の出ている「両口屋」は、昨年までは往時の姿をとどめていたが、今は更地と成り果てた。せめて文章の中なりとも在りし日の姿が偲ばれるのはうれしいことである。