青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『マルトク 特別協力者 警視庁公安部外事二課 ソトニ』 竹内明

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マルトク(特別協力者)とは、「公安警察が、主に敵対するスパイ組織や犯罪組織の内部に獲得し、運用する、特殊な情報提供者」のことである。平たく言えば二重スパイのことだろう。公安がそういう人種を運用するなら、敵も同じことをするにちがいない。つい、この間中国で日本人がスパイ容疑で拘束されたと報道されていたばかりだ。国と国との間だけではなく、敵対、競合する組織間では、こんなことは日常茶飯事になっている。

警視庁公安部外事二課(ソトニ)の活躍、というか暗躍を描くシリーズ第二作は、先の戦争前に朝鮮に渡った人々のうち、戦後になっても帰国することが叶わなかった日本人の、自分たちを裏切り、見殺しにした戦後日本に対する怨念と復讐を主題とする。主人公は前作『背乗り』で颯爽と登場した在ニューヨーク日本国総領事館警備対策官、筒見慶太郎。制止命令を受けたにもかかわらず、業務を遂行しため責任をとらされ、公安部外事二課を追われた男である。業務執行中に息子を死なせたことに負い目を感じ、その復讐を誓っている。

現在外務省に出向中という身分の筒見は今回は単独行動。外事二課に所属する島本彩音と捜査一課から異動してきたばかりの朝倉の若い二人が彼と競いあって事件を追う。事件は日本とアメリカで起きていた。政府高官が白昼狙撃されて重傷を負うのと時を前後して、北朝鮮に亡命していた元内閣情報調査室調査官が半死半生の身に一つの頭蓋骨を抱いて日本に流れ着く。同じ頃、筒見との接見を求めてきた男が二人殺される。メキシコでは張哲(チャンチョル)という特別協力者。ニューヨークでは日本に亡命を申請し、筒見が保護していた北朝鮮外交官。二人とも絶対安全なはずの場所で殺されていた。情報はどこから漏れたのか。

複数の事件をつなぐのが犯行に使用された拳銃が南部乙自動拳銃で実包も当時のものを使用している点だ。わざわざ失敗の危険を冒して旧式の銃や弾丸を使用するのは被害者に向けてのメッセージがそこにあると考えられる。筒見と外事二課が追うのは、バラバラのピースをつなぐ線であり、完成時に現れるはずの絵柄である。マルトクが筒見に見せようと隠し持ってきたモナザイトが謎を解く鍵となるはずだ。

北朝鮮金正恩体制が対外的にいくら強硬姿勢を貫いて見せようが、不作による食糧難ほか国内に鬱積する体制に対する不満は今や爆発寸前だ。相つぐ粛清がその証拠である。金王朝を倒し、集団指導体制を行なおうとするクーデターはいつ起きても不思議ではない。もし、その現実化を急がせるためにどこかの国が秘かに協力し、クーデターが成功したなら、その国は新しい国家の重大なパートナーとなって半島に眠る貴重かつ莫大な鉱物資源を手にすることも夢ではない。

そんな夢のような計画をどこかの国が画策していたら、その国を舞台に政府側と反政府側の暗闘は熾烈なものとならざるを得ない。もしそれが日本のことだとしたら?拉致問題ばかりが囃されるが、戦後連絡がとれなかった在朝日本人は、日本国によって死んだことにされている。この国が国民を守らないのはとうの昔に知れたことだが、戦後の混乱期を旧統治国で迎えた邦人の悲惨さはまさに地獄であったろう。家財は奪われ進駐してきたロシア軍兵士によって女と見れば強姦された。そんな地獄のなか自己犠牲を通じて邦人を救った女性とその遺児を日本に帰すために立ち上がった者がいた。一方、利権をめぐって国にすりより、鉱物の採掘権を得ようとたくらむ者も。

いくつもの思惑が交錯して、事件は錯綜する。ハイテクばやりの世の中なのにデッドドロップという昔ながらのアナログな通信手段で交わされる暗号通信文。外事二課六係が行なう追尾陣形、と一昔前のスパイ小説や刑事物を読んでいるような楽しさがある。シリーズ物ならではのお楽しみ、筒見の愛犬白いシェパードのフィデルもちらっと登場する。前作ではビル・エヴァンスだったBGMが今回はバードだったり、愛読者の期待は裏切らない。

男っぽいアクションや、ハードボイルド風の会話はたっぷり用意されているが、男女の恋愛やとびっきりの美女との濡れ場はない。紅一点の彩音は、昔窮地を救ってくれた恩人の筒見とは年が離れすぎていて、憧れの対象となっても恋愛には発展しない。むしろ、東大を中退してMITでロボット工学を学んできたくせに刑事になった変わり者の朝倉との関係が微笑ましい。今後のシリーズで、関係が深まっていけばいいコンビとなるだろう。巨悪を暴くと宣言し、公安の方に向かってゆく筒見の去就はどうなるのか。次回作が楽しみな結末となっている。