青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『背信の都』上・下 ジェイムズ・エルロイ

f:id:abraxasm:20160709123147j:plain f:id:abraxasm:20160709123126j:plain

1941年12月6日。いうまでもなく日米開戦前夜のアメリカ、ロサンジェルス。日系二世の市警鑑識官アシダは、自作の写真撮影装置を取り付けたばかりのドラッグストアで強盗事件に遭遇する。現場で捜査能力の高さを見込まれたアシダはその後に起きた日本人家族四人のハラキリ事件現場にも立ち会い、捜査に深く関わっていくようになる。その直後日本海軍による真珠湾奇襲攻撃が起き、アシダの立場は極端に悪くなる。米人からは卑怯なジャップ、日系人からは親米の裏切り者という烙印を押されてしまったのだ。市警からジャップを放り出せと吼える市長。アシダは次期本部長の座を狙うパーカー警部に取り入ることで当面の危機を回避する。

ビル・パーカーは市警改革の旗を振る切れ者だが、深刻なアルコール依存症に苦しんでいた。原因は過去の女性問題にあるらしく、妻がありながら街で金髪長身の赤毛女を見かけると振り向かずにはいられない。駆け出し時代、上司に賄賂の入った鞄運びをさせられた過去があるパーカーは署内にはびこる悪を一掃したいと考えている。規律に煩く、手を汚すことを嫌う性格は、上司や部下からは煙たがられ、"偽善者ビル”と呼ばれている。

同じアイルランド系ながらパーカーとはウマが合わないダドリー・スミス巡査部長は、ウィンク一つで人を味方につけ、必要があれば汚い仕事も平気でやる。チャイナタウンを仕切るボスの一人とは義兄弟の契りを交わし、店の地下にある阿片窟の常連で、仕事中はベンゼドリン(覚醒剤)を常用する。ハリウッドの大物にも顔が利き、政界入りする前のJ・F・ケネディには女優を斡旋し、人気女優ベティ・デイヴィスの恋人でもある。アイルランド独立戦争時に殺された父と兄の復讐のために十六歳で英国人を殺した過去を持ち、躊躇なく人を殺す悪徳警官であるのに、犯罪捜査においては優れた捜査手腕を発揮し、アシダの好敵手となるなど一筋縄では行かない人物。

この二人の狭間に立って翻弄されるのがアシダだ。本来なら捜査の第一線に立つことのない鑑識官でありながら、パーカーやダドリーに重用されるのをいいことに秘かに現場に侵入し、証拠品を奪うなど、アシダもかなり警察官として逸脱している。時節柄日本人に対する悪感情は常軌を逸しており、成績を挙げなければ母や兄ともども強制収容所入りになることは見えているからだ。米人からはトマトを投げられ、邦人からは唾を吐かれ、バーでは無視される、市警に唯一人残る日本人アシダの苦衷を察するに余りある。

男たちに混じって一人気を吐くのが元ボクサーの巡査リーの愛人ケイ・レイク。優れた才能や相手を魅了する容姿をもちながら、主義や信条と無縁で、どん底の人生を歩いてきた。その才能を見込んだパーカーは、リーの犯罪の暴露をネタに、ケイに“アカの女王”と呼ばれるクレアに近づき、共産主義シンパの仲間に潜入せよと脅す。戦後を見据えているパーカーは、ケイを共産主義シンパ内のモグラに育てるつもりだった。パーカーに反撥を感じながら惹かれあうものも感じるケイは、自らすすんでその任務に就く。

能力と資質は買いながら、あるいはそれ故に日本人を敵視するアメリカ。日本人嫌いの中国人と中国人嫌いの日本人。ヒトラーのナチズムに喝采をおくる反ユダヤやファシストのアメリカ人。太平洋戦争が勃発した時代の緊張した空気感がビンビン伝わってくる。そんな中、第五列(スパイ)を恐れ、日本人を強制収容する計画が進んでいた。空いた住宅や広大な農地を転用して濡れ手に粟の金儲けを考える男たち。イデオロギーレイシズムを利用して資産運用を図る巨悪を暴こうとする者。計画を知り、儲け話に加わろうと考える者。犯罪のプロたちの闘いの火蓋が切って落とされる。

大風呂敷を広げすぎて収拾がつかなくなったきらいがなきにしもあらず。あまりに大勢の登場人物に、誰が誰だったか巻頭に付された「主な登場人物」を参照しようとするのだが、それだけで4ページもある。名前だけ出てくる人物が重要な役割を果たしていても、あまりピンとこない。警察小説とはいっても、ミステリの一種。ちゃんと謎解きや、お定まりのどんでん返しが用意されている。何度も太字で挿入される「藤色のセーターを着た男とは誰だ?」が、それだ。分刻みの時系列で起きる同時多発事件を記述するために、作家は極端な手段をとる。まるでシナリオのような、身も蓋もないブツ切れの記述。話者の心の中で話される会話、いわゆる心内語は太字で現し、地の文に混入させる。読者は自分の頭で考える余裕を持たされず、あれよあれよという間に一気に大団円に放り込まれる仕掛けだ。

「巻末の登場人物名鑑」を見て驚いた。事件に関係する多くの著名人が実在の人物とされているではないか。主たる登場人物であるビル・パーカーがその人。アルコール依存症に悩み、前夫人を殴打、傷害の事実に加え、汚職への関与まで書かれている。それだけではない。ラフマニノフバーンスタインのような音楽家はいいが、映画俳優に至っては、ほとんどホモかレズビアンで、女優は実名で中絶経験を暴かれている。ハリウッドに対するオブセッションがあるのかもしれない。

ケネディ一家の醜聞については、公然の事実とされているから、今さら書いても暴いたことにはならないのだろうが、ジャックのご乱行など、娘である駐日大使が目にしたら、いい気分ではいられまい。同じ警察小説でも、日本の場合、首相などの仮名は当然、今話題の『64』など、事件の舞台となる県名まで「D県」だ。映画に出てくる外国名も架空の国になっているのが普通だ。何かと差しさわりがあることを考えてのことかもしれないが、この種の忖度自体が諸外国と比べ異様に感じる。報道の自由度の低下が話題になっているが、表現の自由自体がもともと低いということではないか。

切腹という儀式についての半可通な認識や、歌舞伎の面などという珍妙なものが披瀝されるのが片腹痛いが、エルロイほどの作家にして日本文化理解がこの程度なのだな、とあらためて思い知らされた。連日、素晴らしい日本を煽り立てるテレビに処方する丁度いい解毒剤となった。ただ、作家の日本人に対する姿勢はあくまでも公平で、アシダに向ける視線も正等かつ共感のこもったものである。あの時勢の中で、日本人に対する不当な扱いに対して抗議するFBI特別捜査官ウォード・リテルの存在はアメリカの良心を代表している。

これだけでも立派な長篇小説だが、この作品、映画にもなった『LAコンフィデンシャル』を含む《暗黒のLA四部作》の前の時代を描いた《新・暗黒のLA四部作》の第一作だという。この実在の人物と虚構の人物が絶妙に交錯する濃密な世界がまだ続く、ということがうれしくなる。と同時に、未読の《暗黒のLA四部作》を読まねば、という気が起きてくる。この壮大なクロニクルの入口をくぐったからには、最後まで行くしかないか。