青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『ピュリティ』ジョナサン・フランゼン

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記憶が定かでないのだが、すべての小説は探偵小説であるという意味の言葉をどこかで読んだ覚えがある。すべてかどうかは知らないが、たしかに面白い小説に探偵小説的興趣があるのはまちがいない。ページターナーと称される作品には、読者の前に必ず何らかの謎が提出されている。馬の鼻先に吊るされた人参のように。それを手にしようとして読者は我知らずページを繰らされるのだ。

カリフォルニア州オークランドに住む若い女性ピップは、奨学ローンで苦しんでいた。母親はシングル・マザーでレジ係の職に就いているが、うつ気味でフェルトン郊外セコイアの森に建つキャビンに引きこもっている。ピップはときどき母の家を訪ねる。主人公の名前と境遇から、ある小説を思い出した。ピップなる人物が定期的に隠遁生活を送る女の家を訪ねる設定はディケンズのそれを踏襲している。ピップはどんな父親であれ、資金援助が得られれば有難いと考え、父について尋ねるのだが、ピップを愛することでは誰にも負けない母も、それについては頑なに口を閉ざすばかりだ。

アパート代にも事欠くピップは核軍縮勉強会で知り合った知人の家に居候していた。そこで会ったドイツ人女性に、あるプロジェクトのインターンシップを受けることを勧められる。プロジェクト・リーダーのアンドレアスは、つい先日逮捕されたばかりのジュリアン・アサンジエドワード・スノーデンの同類で、インターネット上に情報を流して社会悪を暴く<リーカー>。女性はアンドレアスにピップが優れた資質を持つ女性だと売り込んでいた。

容易に他人を信じることができず、周囲にとげとげしい態度をとるために変人だと思われているピップは、自分にそんな価値があるとは信じられなかったが、アンドレアスからのメールで、父親捜しを手伝えると示唆され、その気になる。<サンライズ・プロジェクト>の本拠地は南米ボリビアの山間にあるシャングリ・ラを思わせる地上の楽園。そこには、世界中から様々な能力を持つハッカーが集まっていた。特に美しくもなければ、何の資格もないピップは明らかに場違いだったが、アンドレアスとの相性はよかった。

結果的にアンドレアスはピップに資金援助を約束する。ピップに与えられる恩恵は、どこからきているのか。また、父親は誰なのか、七章からなる長篇の第一章「オークランドのピュリティ」を読むだけで、わくわくしてくる。しかも、辛辣な皮肉や歯に衣着せぬ毒舌が飛び交う会話はアイロニーに充ち、どこかずれてるピップの行動は哀切なユーモアにあふれている。ページを繰る手は止まらない。

ところが、次章「悪趣味共和国」で視点人物をつとめるのはアンドレアスで、時代もベルリンの壁の崩壊前夜。舞台となるのは東ドイツ。若き日のアンドレアスがシュタージの監視の目を逃れ、小説の核となる事件を起こすに至った顛末が本人の心理を含め、詳細に描かれる。本作で、アンドレアスの役どころはディケンズ作品における囚人マグウィッチ。小説自体は現代アメリカの陽光溢れる西海岸を主な舞台にしていながら、物資が乏しく自由のない東独時代を対比的に配することで、ゴシック小説的な怪奇味を演出している。

それ以後も、ピップが勤めることになる<デンバー・インディペンデント>の主筆トムをはじめ、章がかわるたびに視点人物がころころ変わる。それらの人物はみなピップを軸にしてつながっている。ピップの数奇な人生をめぐる物語を角度を変え、時間をさかのぼり、多視点的に眺めることで、めぐり合わせの奇矯さが立体視できる仕組みである。綿密に仕組まれたプロットといい、深く掘りさげた人物造形といい、完成度は高い。

しかも、主たる話題は独立系報道機関による秘密情報の暴露という、極めて今日的なものである。オバマに落胆したアメリカ人の心理がそこかしこに顔を出し、ハリウッド映画や女優の名前が会話の中に出てくる、リアルタイムな世界を描いた小説が、最も力を入れているのが人間関係の愛おしさと厭わしさであるのが興味深い。男と女、男と男、女と女、夫と妻、父と娘、母と娘、母と息子、血のつながらない父と息子、と対になる関係を網羅して、その二律背反する愛と憎しみの深さをここまでえぐるかというほど突き詰めている。

情景描写も巧みである。セコイアの落葉の降り積もるカリフォルニア州フェルトン郊外の森の描写に始まり、ル・カレの小説を原作とするスパイ映画を思い出させる息詰まるような東ベルリンの闇、そして様々な色彩の鳥が飛び交うボリビアのエル・ボルカネスの南国的、官能的な自然描写。書かれた文字を読んでいるだけなのに、色やら匂いやらが五感を襲う。

登場人物のほとんどが人並み外れた知性と教養の持ち主なので、会話にはシェイクスピアの引用が挿まれ、時には激しい心理分析の応酬となり、思弁的な洞察が混じる。深く愛し合いながらも、一緒に暮らすと傷つけ合わずにいられないトムとアナベルを描いた場面など、既婚者なら他人事とは思えない。昔を思い出し身につまされた。脇役ながらピップの家の家主で統合失調症を病むドレイファスの感情を一切排したもの言いの底にある切情、或いは車椅子生活を送る小説家が韜晦気味に漏らす不埒なユーモア等々、なかなか読ませてくれる。

そうきたか、と思わず膝を打つことになる奇手、突拍子もないようでいてそれしかないと思わせる解決策、とミステリやサスペンスの向こうを張ったハラハラドキドキ感も半端ではない。それでいて「潔白」を意味するピップの本名「ピュリティ」の字義通り、この世の中がいくら汚濁に満ちているとしても、人間はまだまだ捨てた物ではないという気にさせてくれる。外国文学好きを自称しながら、こんな作家を知らずにいたとは。また一人好きな作家を見つけることができてうれしくなった。