青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』川本直

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ナボコフの『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』から借りた表題からも分かるように、世に知られた著名人の人生をよく知る語り手が、本当の姿を暴露するというのが主題だ。それでは、ジュリアン・バトラーというのは誰か。アメリカの文学界で、男性の同性愛について初めて書いたのは、ゴア・ヴィダルの『都市と柱』とされているが、ジュリアン・バトラーの『二つの愛』はそれに続く同性愛文学のはしり、とされている。

一九五〇年代のアメリカでは、同性愛について大っぴらに触れることはタブー視されていた。ジュリアン・バトラーのデビュー作も、二十に及ぶアメリカの出版社に拒否され、結局はナボコフの『ロリータ』を出版した、ある種いかがわしい作品を得意にしていたフランスのオリンピア・プレスから出ることになった。アメリカに逆輸入された作品は、批評家たちにポルノグラフィー扱いされ、囂囂たる非難の的となる。

しかし、続いて発表された『空が錯乱する』は、ローマ史に基づいた歴史もので、相変わらず同性愛を扱っているものの、繊細な叙述と実際の見聞によるイタリアの遺跡の描写を評価する向きもあった。ところが、三作目の『ネオサテュリコン』は、ペトロニウスの『サテュリコン』を現代のニューヨークに置き換えて、二人の同性愛者のご乱行を露骨に描いたことで、またもや顰蹙を買うことになった。

その第一章を、裏技を使って雑誌「エスクァイア」に載せたのは、ジュリアンの友人のジョンだったが、それがもとで彼は解雇され、友人の薦めでパリ・レヴュ―誌に引き抜かれ、ジュリアンとともに渡仏する。『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』は、そのジョンが、晩年になって過去を回顧して自分とジュリアンの創作と生活について、世間に知られていない秘密を余すことなく書き綴ったものである。

作品によって作風が異なるのも当たり前のことで、実はジュリアン・バトラーというのは、名前こそジュリアンの名になっているが、その内実は、エラリー・クイーン藤子不二雄と同じ、合作者のペン・ネームだったのだ。二人は、アメリカの上流階級の子弟が進むことで有名なボーディング・スクール(全寮制寄宿学校)、フィリップス・エクセター・アカデミーの同窓生で、寮の部屋をともにしていた仲だ。

演劇祭でジュリアンがサロメ、ジョンが預言者カナーンとして共演したことがきっかけで、交際が始まり、結局ジョンは生涯ジュリアン以外とベッドを共にすることがなかった。デビュー作はジュリアンが書いたものにジョンが手を入れた。ジュリアンは発想や会話は抜群だったが文章力は皆無。一方、内向的な性格のジョンは、部屋にこもって文章を読んだり書いたりするのが好きだった。派手好みのジュリアンは湯水のように金を使う。一緒に暮らし始めた二人は、不本意ながら合作に舵を切る。もっとも、書くのはジョン一人だった。

どこへでも女装で出かけてゆくジュリアンは、華奢だったため、まず男と見破られることはなかったが、アメリカでは変装は罪で、逮捕される危険もあり、二人は渡欧。最後はイタリアのアマルフィ近くのラヴェッロに居を構え、ジョンは日がな執筆を、ジュリアンはカフェで酒を飲んでは興に乗って歌を披露するという暮らしを続ける。トルーマン・カポーティ―やゴア・ヴィダルといった友人がヴィラを訪れては、飲めや歌えの大騒ぎを繰り返す、この時期は二人にとっての酒とバラの日々だった。

十代後半から八十歳代に至るまでの回顧録で、当時のアメリカの作家やアーティストが繰り広げる乱痴気騒ぎを、楽屋話よろしく本編に織り交ぜて語られるので、文学好きにはたまらない。人気者としてちやほやされ皆に愛されるのが大好きなジュリアンは本のことなどそっちのけでひたすら飲んでいるばかり。一方、締め切りに追われるジョンの方は書くことに夢中。相手に対する葛藤もあるが、ヨーロッパ各地を巡っては、料理や酒に舌鼓を打ち、名所旧跡を訪れては、感慨に耽る。この膝栗毛は読んでいて愉しい。

まるで、外国文学の翻訳のような体裁なので、ついうかうかとその気で読んでしまうが、実は根っからのフィクション。ジュリアン・バトラーという作家は存在しない。ジュリアンとジョンの二人は、イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』のチャールスとセヴァスチャンがモデル。二人が楡の木陰で蟠桃を口に含んで白ワインを飲むところに仄めかされている。『ブライヅヘッドふたたび』では、それが栗の花と苺だった。また、ジョンとジュリアンの略歴は作中にも何度も登場するゴア・ヴィダルのそれから採られているようだ。政治家の父を持ち、晩年はラヴェッロでパートナーと暮らすところまで。

しかけはその他にも用意されている。実作者と思わせる日本人がジョンにインタビューしにくるのだが、そのインタビュアーである川本直による「ジュリアン・バトラーを求めて――あとがきに代えて」という文章が末尾に付されていたり、『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』を書いたアンソニー・アンダーソンが、自分で小説を書くのをやめたジョンの変名で、いわば、ひとり芝居だったという詐欺まがいの行為まで含めて、この小説の作品世界は成り立っている。

これが初の小説だというが、実に達者なものだ。引かれ合いながらも全く異なる資質を持つ二人の男が、長い人生を共に暮らす。なにかと窮屈なアメリカを離れ、祖父の資産と小説の印税や、映画化による契約金で、潤沢な生活を送る二人。放蕩生活を楽しむジュリアンが酒に溺れ身を持ち崩してゆくのに比べ、他人との接触を避け、執筆一筋できたジョンが、ジュリアンの死を契機として、人と生きることに目覚めてゆくところなど、翻訳小説風であるからこそ読めるところで、日本の小説だったら嘘臭くなるにちがいない。次はどんな世界を見せてくれるのか楽しみな作家の登場である。