青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『無月の譜』松浦寿輝

吹けば飛ぶような、将棋の駒に命を懸けた二人の若者の短すぎた青春を悼む鎮魂曲。一人は棋士を、もう一人は将棋の駒を作る駒師を目指していた。行く道も、時代も異なる二人をつなぐのが将棋の駒だ。鎮魂曲に喩えたが、哀切極まりない曲調ではない。主人公の人柄の良さもあり、人が人を呼び、人と人とのつながりが輪となって大きなうねりを描いてゆく。読後、しみじみよかったなあ、と思わせてくれる、近頃珍しいとても後味のいい小説である。

棋士がタイトル戦に用いるような駒ともなると、なかなか吹けば飛ぶようなものではない。駒の木地となる黄楊は、伊豆の御蔵島産の「島黄楊」と鹿児島産の「薩摩黄楊」が人気を二分する。木の採り方によって虎斑が入ったり、柾目になったりするが、根に近い部分の木地に出る柄は「虎杢」と呼ばれ、とりわけ珍重される。これに印刀で字を彫り、漆を塗る。その彫りと漆の塗り方にも「彫り駒」「彫り埋め駒」「盛り上げ駒」と三種あり「盛り上げ駒」をもって最上とする。

こう書くと、いかにも将棋の駒に詳しいみたいだが、全部この本で知ったことだ。この小説の主題は将棋で、その由来についてもちゃんと書かれている。中でも「駒」に彫られた「書体」が眼目だ。四大書体と呼ばれる「錦旗」「菱湖」「水無瀬」「源兵衛清安」をはじめ様々な書体がある。表題にある「無月(むげつ)」もまた、ある書体の銘である。ところが、それがどんなものかを知ることはできない。見たことのある者の目には、何か霊力でもあるかのように光を放っていたというのだが。

幻の駒の謎を追う探索行を描いた一種のミステリと言えるかもしれない。探偵役を務めるのは、小磯竜介という、もうすぐ五十歳になろうかという中堅会社員。今は将棋に何の関心も示さないが、かつては奨励会で三段まで行ったこともある。残念ながら「満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会となる」という年齢制限にひっかかり、プロ棋士への夢を断たれた過去を持つ。

奨励会の年齢制限で挫折し、実人生に戻り損ねた男の話はよく聞く。竜介はウェブ・デザイン関係の会社への就職がすぐに決まり、会社の人間関係がよかったのも幸いし、順調に社会生活に順応していった。しかし、内向的な性格の竜介が珍しく積極的に攻めに出たことがある。奨励会を退会するにあたって師匠に挨拶に行ったとき、「惜しかったな」という言葉と共に餞別としてもらった一組の将棋の駒がすべての発端だった。

就職前の気分転換に信州上田に帰郷した竜介は、応援してくれていた長塚と将棋を指した。そのときに持参した、師匠にもらった駒を誉められ、駒に関する蘊蓄を聞きながら、長塚所有の駒の数々を手にとって眺める機会を得た。それが、勝敗にしか興味がなく、将棋の駒について無関心だった竜介が、駒に魅かれるようになったきっかけだ。長塚は言った。「竜ちゃんは駒が好きなはずだよ。そういう血を引いているんだから」と。

実は、竜介には駒師をしていた大叔父がいた。祖父の弟で他家に養子に行った関岳史だ。終戦の年に外地で戦死しており、竜介が知らなくて当然だ。当時三歳だった父も詳しいことは覚えていない。俄然興味がわいた竜介は、大叔父について調べ始める。伝手を頼り、彼の昔を知る友人、知人を訪ね歩いては、大叔父がどんな人間だったか、彼が彫った駒について何か手がかりがないかを聞いて回る、つまりは探索行である。

人柄がものを言うのか、手がかりの糸が途切れそうになると、どこからともなく次の人が現れては、大叔父の過去を語る。老人の昔話を聞き取るうち、戦時中の人々が嘗めた苦労が尋常ではなかったことが分かってくる。過去は過去としてその後の人生を坦々と生きてきた人もいれば、過去の桎梏から逃れられず、世を拗ねた偏屈な老人になってしまった人物もいる。しかし、そんな偏屈な老人も竜介と将棋を指すうちに、過去の屈託から逃れ、元来の人の好さを取り戻してゆく。

真面目で成績がよく、書も堪能だった岳史は、一人で文学書を読むのが好きな質で友だちは少なかった。ふとした過ちがもとで退学となり、追われるように上田を出た岳史は工場に勤めたが肺を病んだ。その結果、徴兵検査は丙種合格となる。その後、東京に出て駒師の修業を積み、ようやくこれからというところで召集される。そのまま、応召先のシンガポールで戦死し、二度と国に帰ることはなかった。竜介は、そんな大叔父が可哀そうでならない。

しかし、唯一の友人だった同級生が語るのは、いつか今までにない書体で駒を彫る。その書体の銘は「無月」、自分の銘は「玄火」だと決めていたという関の自信に満ちた言葉だ。また、駒師時代の兄弟子だった老人は、「玄火」は既に「無月」の銘を持つ書体の駒を完成していたと語る。素晴らしい出来映えだったが、出征前夜、関がそれまで作った駒を燃やすのを彼は目にする。無事帰国すればまた精進することができる。それがかなわなければ、習作は余人に見られたくないという自信の現れだった。

その後「無月」の駒がシンガポールに残されているかもしれないという話を聞き、竜介は海を渡る。不思議な縁で「無月」の駒は人から人へとめぐりめぐって、様々な人々と竜介との出会いを仲介する。将棋から目を逸らしていた時期、竜介の心の内奥には挫折感から来る鬱屈が残っていた。それが「無月」の駒を探す旅で人と出会い、出征兵士の気持ちに触れたり、かつての敵国人同士、英語で話し合ったりするうちに、いつの間にか、心の中にあったしこりがほぐれていった。竜介は師匠の思い出の残る駒を盤上に並べながら、来し方を振り返り、行末を思う。

「無月」というのは「曇ったり、雨が降ったりしていて月が見えないこと」をいう。特に中秋の名月に使われる。そこにあって当然と考えられるものが無いことからくる、ちょっとひねった感じが俳味となり、秋の季語になっている。主人公は、見えない月を追いかけた。それは将棋の駒であり、竜介の奨励会時代であり、岳史の短い人生でもある。一度はその目でたしかに目にしたが、今はもう見ることはない。しかし、そこにあることは知っている。見えてはいないが、それはそこにある。自分はそれを知っている。それでいいではないか。「無月」、なかなか含蓄のある言葉だ。