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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『64』上・下 横山秀夫

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三上義信はD県警察本部警務部秘書課調査官<広報官>。肩書きは警視。去年までは捜査二課、つまりは刑事部に所属していた根っからの刑事である。強面と刑事部出身という本籍効果を買われて警務畑に来たが、本心は二年で刑事部に戻ると決めていた。捜査一課、二課を経験し実績も挙げてきた。それだけに今回の人事が腑に落ちない。同期で同じ剣道部で確執のある警務課の二渡(ふたわたり)の人事なのかという疑念を払拭しきれない。

強硬にマスコミ支配を命じる警務部長の赤間に対し、言うべきことは言う新広報官は記者クラブとも良好な関係を築きつつあったが、娘の家出が事態を変えた。捜索の便宜を図ることで赤間は露骨に服従を求め、三上は屈した。三上の変節は記者クラブとの関係を拗れさせる。そんなとき、D県に警察庁長官の視察が入ることになる。昭和64年に発生した未解決の誘拐事件、通称64(ロクヨン)の被害者宅を訪問し、警察の意欲のほどを見せるというのだが、その裏には県警刑事部長ポストを巡る本庁の思惑があった。

三上は、態度を硬化させる記者クラブ対策を講じながら、長官視察に対する対応もしなければならない。記者をなだめるネタ探しに刑事部詣でをするうち、三上は64には何か秘密があることに気づく。誘拐事件担当で今は退任した幸田という刑事が残したメモについて、二渡が嗅ぎ回っていたのだ。何故警務の二渡が刑事の真似事をするのか。未解決の誘拐事件の裏には長年にわたって刑事部が隠し続けてきた事実があるらしい。三上は当時の関係者に聞き込みを開始する。

未解決の誘拐事件とその裏に潜む警察内部の不祥事という二つの謎を追う刑事の活躍を描く警察小説。『クライマーズ・ハイ』の時も感じたが、この作家は組織内部の人間関係の軋轢という主題を得意とするようだ。主人公だけでなく、その周りに上司や部下、敵対勢力に協力者、それに何よりも強力な競争相手、といった大勢の人員を配することで、人間関係に幅が出てダイナミックな動きが生まれる。また、それを効果的に見せるため、ワイド画面で映画化したくなるような場面を用意する。

刑事部と警務部、本庁と県警、エリートと叩き上げ、東京と地方(警察も新聞社も)。いくつもの対立軸を用意して、対立を煽る手法はあざといともいえるほど。警察内部はほんとうにこんなに対立しているのだろうか。「県警も本庁もない。警察は一つの生き物だ」という二渡の言葉の方にくみしたい気がするが。刑事でいたいのに、人事の都合で二度にわたり、広報という警務の仕事を命じられる三上に内心の屈折があるように、周りも三上の帰属意識を疑う。

警察小説もミステリの一種なのだから、謎解きは大事なはずだが、話者の視点は一貫して三上にあり、読者は三上の迷いや焦り、葛藤、疑心暗鬼といった、どうにもすっきりしない心理状態に延々とつき合わされる。それを読者に理解させるため警察という組織の複雑な構造の説明が頻繁に挿入される。仕事だけではない。「鬼瓦」と仇名される顔を持つ三上のところに何故美人で有名な美那子が嫁いできたのか、という疑問も残る。仕事にかまけて妻子を顧みなかったことへの悔いもある。短い文で刻んでゆく文体はハードボイルド調だが、主人公はあまり颯爽としていない。

三上のディレンマは人事のせいであるかのように思われているが、ほんとうは自分によるものだ。多くの名探偵とちがって、三上は自分を確立していない。まだ発展途上なのだ。自分が分からないから、事態が紛糾すると熱くなり、前後の見境なく突っ走ってしまう。まあ、すぐに反省できるのだから馬鹿ではないのだが、全然クールじゃない。人情家でもあるが、女性は弱い者、守るべき者としか見えておらず、妻や部下の美雲の気持ちも分からない。なぜこんな男が美那子や美雲に愛されるのだろう。個人的には二渡調査官の方が好みだ。

三上の視点で見るからか、上司の赤間や辻内、といったキャリア官僚がおしなべて人間味に欠けているのに対し、三上が敬愛する刑事部捜査一課張松岡や元刑事部長尾坂部といった刑事部上がりの人物は刑事として腕利きというだけでなく人間的にもよくできた人物に描かれる。一方、同じ刑事部でもマル暴上がりの刑事部長荒木田などは終始いやな人物に描かれているところなど、視点の関係上仕方のないこととはいえ、図式的過ぎるように思う。まあ、三上の成長につれ、広報の部下たちは人物像を変化させるから、そのうちキャリア官僚の中にも人物が出てくるかもしれない。

肝心のミステリとしての出来だが、昭和の終わりから現在に至る電話や録音機器の機能の進歩という点に目をつけ、うまく使っていると思う。最初から伏線が何本も張られているのだが、人間心理を把握し、慎重に使用しているので、あれにはそういう意味があったのか、と驚かされた。ぐいぐいと先を読ませる筆力がある。上下二巻に分かれているが、次を読みたさにつられて一気に読んでしまった。

蛇足ながら、よく「読んでから見るか、見てから読むか」という。イメージが固定されてしまう是非をいうのだろうが、すでにテレビで先行放送がされているし、映画化の宣伝で以前の横山作品もテレビ放送されている。二渡や赤間など俳優の顔が先に思い浮かんできてしまった。キャスティングの妙味というものだろう。逆に映画のキャスティングには首を捻る人選もある。どうでもいいことだが、個人的にはテレビ版の三上夫妻の方が原作に近い感じを受けた。好きな顔を当てはめて楽しめばいいのではないか。