『幻島はるかなり』 紀田順一郎
「どこの家の戸棚にも骸骨がしまってある」というイギリスのことわざではじまる。因みに「骸骨」とは、人に知られたくない家の秘密や内情を指し、殺人や幽霊話のことではない。日本に幻想・怪奇文学の伝統を根づかせた評論家・作家紀田順一郎の回想録である。読書家として知られる著者は多方面に業績があり、情報処理としての読書技術についてふれた『現代読書の技術』(1975年)には、カードによる分類整理術が用紙や器具に至るまで親切に紹介されていて、評者なぞも随分世話になった思い出がある。
その一方で、我が家の書棚の別の一角には、ラブクラフトやM・R・ジェイムズをはじめとする、著者が編集に関わった怪奇・幻想文学関係の書籍がずらりと並んでいる。私事ながら大学時代、時ならぬ幻想・怪奇文学ブームが巻き起こっていた。講談社から「江戸川乱歩全集」が刊行されたのをきっかけに、桃源社、三一書房、牧神社、創土社といった出版社から続々と怪奇・幻想系文学の書物が出版されていた。食費を切りつめ、古書店や新刊書店を歩き回って探し求めた全集その他の本で埋まる一角を眺めるたびに当時の熱気が思い出される。
著者はそんなブームの牽引車の一人で、特に埋もれた外国作家の掘り起こしに力を発揮された。本書は、戦時中土蔵の中で読書に耽溺した子ども時代から始まり、最近の神奈川近代文学館館長としての活躍まで筆は及ぶが、副題に「推理・幻想文学の七十年」とあるように専ら探偵小説と幻想・怪奇文学に話をしぼって書かれているので、読者としてはミステリや幻想怪奇文学愛好者を想定さているのだろう。慶応義塾時代のサークル活動で木々高太郎を囲む会に顔を出していたり、大伴昌司と出会ったり、自分たちで雑誌を発行したり、と当時の思い出話はつきない。
なかでも、ホレース・ウォルポール『オトラント城綺譚』の訳者平井呈一については、かなりの紙幅を割いている。平井呈一訳アーネスト・ダウスン作『ディレムマ』一巻は我が愛読書で、光の衰えつつある秋の日の午後など、窓辺に椅子を引き寄せてページを開くと、なんとも云えぬ心持ちにさせられるのだが、それはさておき、前掲書にも序文を寄せている佐藤春夫の門人と思っていたが、戦時中、師の伝手で永井荷風の家に出入りし、代筆などをするようになり、可愛がられているのをいいことに、例の『四畳半襖の下張』に手を出したとか、不義理をしたとかという理由で破門されていた、という過去を持っていた。
相手がいけなかった。荷風の側から見た事の経緯を書いた戯作調小説(『来訪者』)が出たことから、それが独り歩きしはじめ、早い話が平井は干されてしまう。これは、紀田や大伴のような平井を先達と仰ぐ同好の士には受け容れられないことであった。直接平井宅を訪れ、質問しようと意気込む二人を前に飄々とした本人が現われる。ウォルポールの稀覯本を見せられ、羊羹までご馳走になる始末。同人誌の顧問の件も了解され、二人は大事なことを聞かずに帰ってきてしまう。このあたり、肉声を知るものだけが分かる絶妙のポルトレとなっている。妻子ある身で駆け落ちして後に一緒になったと伝えられる夫人についても、情理を弁えた説明が付され、平井呈一復権に寄せる思いが強く伝わってくる。
回想録にありがちな、物事を自分に都合のいいように書くといったところは微塵もなく、むしろ出会った人々のなかでも、時世時節に恵まれず、不遇に過ごした人、本来ならもっと人の口の端に上るはずであった人の肩を持つような文章が多いのが、人柄をしのばせる。どちらかといえば、人と話すことは得意でなく、書斎派と思われる著者が、海野十三全集を企画した縁で、夫人の頼みを聞き、石碑の保存のために徳島に赴き、政治家に口利きするところなどを読むと、到底実現不可能と思われる企画が、何故か出会う人に恵まれ、思いがけなく出版社が見つかってしまう、というたび重なる幸運も、持って生まれた人徳かと納得させられる。
体の弱かった著者は、弱い立場にある人に心を寄せることのできる人でもある。傑作という評価が高いクイーンの『Yの悲劇』における、障害者の扱い方に疑問を呈している。何やらきな臭い時代になってきたが、疎開経験にふれたところには骨身に沁みた厭戦の気配が漂っている。今書いておかねば、という気迫のようなものさえ感じた。探偵小説、幻想・怪奇小説ファンなら勿論、所謂サブ・カルチャー好みの人なら読んで損はしない挿話、登場人物が満載。特に荒俣宏との出会いの場面など、成程そうであったかと思わず膝を叩いた。人が人を呼ぶのだなあ、と改めて感じ入った次第である。