青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『エヴァ・トラウト』 エリザベス・ボウエン

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ボウエン最後の長篇小説。ブッカー賞のリストに載るが受賞はしなかった。プロットや人物造型に対する不満が評価が分かれる理由らしい。人物造型についていえば、たしかに主人公であるエヴァはあまり人好きのするタイプではない。なにしろ億万長者の一人娘で、遺言により二十五歳の誕生日が来れば父の遺産はすべてエヴァのものとなる。遺産相続前の今もジャガーを乗り回す、そんな女性に共感できる読者はあまりいそうにない。それでは、人も羨む人生かといえばそれはちがう。幼い頃に母に死に別れ、国際的な企業家である父の仕事の関係で、寄宿学校か世界各地のホテルを転々とする生活のせいで母国語の習得もままならず、いまだに満足な物言いすらできない。

それだけではない。父のウィリーは同性愛者で、父の死後エヴァの後見役をつとめるコンスタンティンがそのお相手。母の死は恋人のいるパリに逃げる途中の飛行機事故である。親の愛を知らずに育った子どもであるエヴァは、自分という存在に自信が持てず、言葉の問題もあって他者とのコミュニケーションがうまくとれない。行き場のないエヴァのため、父が金を出しコンスタンティンの所有する城を、金持ち連中がもてあました不良子女を集めて学校にしたのはいいが、不祥事が相つぎ廃校となった時、エヴァが唯一頼りにしたのが、女学校時代の教師イズーである。

イズーは才気溢れる女性教師だったが、結婚後は教職を辞めていた。夫の果樹園経営はうまくいかず、エヴァを預かることで多額の金が入ることはありがたかった。ただ夫婦水入らずのところへ若い女性が同居することで、もともとひびが入りかけていた夫婦関係が危うくなり、イズーはエヴァをうとましく思っていた。そのエヴァが独り暮らしのために海辺の一軒家を購入することで、小説は動き出す。エヴァが世話になっていた牧師館の息子のヘンリー、イズーの夫であるエリック、それにコンスタンティンという男たちがエヴァに絡み、それに引きずられるようにイズーがあやしい動きを見せる。

金はあるが、愛に恵まれない娘がいかにして自己実現を果たしていくか、結婚、子育て、社会への貢献と、本来自分に課せられているはずの行為を、やかん一つ満足にガスにかけられない世間知らずの女性が、どうやって自分のものにしてゆくのか。自分が果たせなかった愛に溢れた親子関係を実現するため、不正な取引で幼児を取得するも、そのジェレミーは聾唖者だった。言葉を介さない二人だけのコミュニケーションは成立するが、ジェレミーの成長に伴い事態は変わる。小説は二部に分かれ、一部ではエヴァの独立が捲き起こす騒動を、第二部は渡米し、子育てをしていたエヴァが帰国し、ヘンリーとの結婚のためローマに旅行するまでを描く。

湖畔に建つ城砦、ディケンズの『荒涼館』のモデルとなった書斎、その近くに建つ海辺の邸宅、といった抜群のロケーション。「邪悪な後見人」コンスタンティンとイズーが囲むディナー。シャブリでは場違いと称される山盛りの牡蠣に山鴫料理、リド・ヴォー、と涎の出そうな献立である。人物造型に難があるという評だが、どの人物もただただ人に愛され好かれるような人物でないだけで、コンスタンティンやイズーをはじめ、ある意味、わずかばかりの登場に過ぎない傍役まで、魅力的な人物が揃っている。

プロットという観点で言えば、E・M・フォースターの小説のように大団円に向けて整然と進むようにはなっていない。ただ、一見唐突なような結末も、早くから伏線を張り、サスペンスを盛り上げるなど、考え抜かれた構成であり、これはこれで成熟した小説世界である。七十歳で、これだけの長篇小説を仕上げる力に感銘さえ覚える。

思い出の城砦が建つ湖にボートを浮かべ、ヘンリーとエヴァが遊ぶ夏の一日。ヘンリーが用意した苺とワイン(おそらく白)は『ブライヅヘッドふたたび』におけるセヴァスチャンとチャールズの栗の花の下での一時をいやでも想起させる。友人イーヴリン・ウォーに向けて片目をつむって見せたつもりだろうが、幸せの渦中にある二人を後から偲ぶにはこれを置いてない取り合わせといえよう。ヘンリーの父親が花粉症でクリネックスを手放せないところなど、英国小説らしいヒューモアもちゃんと用意されている。代表作とされる『パリの家』より面白く読んだ。もっと評価されていい小説だと思うが如何。