『セロトニン』ミシェル・ウエルベック
私事ながら、読書を除けば趣味というものがない。昔はいろんなことに手を出したが、今は何もする気になれない。猫と暮らすようになってからは、あまり外へも出かけなくなった。仕事以外に人とのつきあいがなく、退職後は年に二度、夏と冬に学生時代の友人と会食するだけだ。まず、家族以外の人と話をすることがない。退職前によく人から「趣味を持て」と言われたが、このことを言っていたのだな、と今になって思い当たる。
妻は本気で「ひきこもり」を疑っているふしがある。しかし、人と話をしなくても別段不満はないし、お決まりのコースを半時間も歩けば、自然の変化に目はとまるし、運動不足の解消にもなる。家に帰れば猫が待っている。人との不必要な摩擦のない生活は、自分にとっては申し分のない生活なのだ。人生も残すところあと少しになった老人は笑ってそういってもいられるが、先の長い人間にとってはどうだろう。
『セロトニン』は「ひきこもり」を扱っている。禁煙運動や環境問題、グローバル化した経済など、行き過ぎた社会規範や国家間の約束が、かつては自由にやっていた個人的な営為や習慣をことごとく縛り、そのことに敏感な人間を追いつめている。行き場をなくした「個人主義者」は反抗するが、時代の波には勝てず、自殺するか、ひきこもりか、いずれにせよ敗者となる。ウエルベックの主張は極端なようにも見えるが、世界から寛容さが失われつつあることは事実で、一面の真実をついている。
一人の男が自分の人生を振り返りながら、希望を見いだせないまま袋小路に追い詰められてゆく。人生が下り坂にあることを意識した男は、我知らず残りの人生を食いつめてゆく。あのミシェル・ウエルベックにしては、ペシミスティック過ぎる気がするが、陰鬱なユーモアをまぶしたアイロニカルな批評性といい、セックスと食事に対する過剰なこだわりといい、殊更に人種差別的な言辞を弄するところなど、所々に「らしさ」を見ることができる。フムスとやらを食べてみたくなった。
主人公は四十六歳になるフランス人男性。ブルジョワ階級で、環境団体がやり玉に挙げることで有名なモンサント勤務を経て、農業食糧省の契約社員となる。フランス産の農産物の輸出拡大や、外国から安い関税で入ってくる農産物から自国産のそれをどう守るか、という面でわずかではあるが貢献していた。しかし、EUという枠組みの中にあってフランスの農業は圧倒的に不利であり、彼は負け戦の連鎖に戦意を喪失しつつあった。
物語は、スペインの避暑地から始まる。ヴァカンスの最中で、パリからやってくる同棲相手の日本人女性ユズを待っているところだ。皮肉なことに彼はユズが来るのを怖れている。このユズというのが詳しく書く気になれないほどのビッチ。縁を切りたい主人公は、テレビで見た番組にヒントを得て、自分の借りているタワーマンションにユズを残し、自分は蒸発を決め込む。仕事もやめ、どこかに居場所を探してひきこもって暮らし始める。
彼には父の遺産があり、退職しても当座の暮らしには困らない。問題は煙草を吸うことができるホテルが激減していたことだ。どうにか探し当ててそこに暮らし始めてからが本編となる。正直なところ、出だしのユズのイメージがひどすぎて、共感がしづらいのだが、小説の常として、細部は小出しにされる仕組みになっている。話が進むにつれ、このいけ好かないスノッブにも共感できるところが出てくる。ウエルベックの語りの巧さがそうさせるのかもしれない。救いのない話なのに本を置く気になれない。
表題の「セロトニン」とは「脳内の神経伝達物質の一つで精神を安定させる働きがあるとされ」る。 このため、セロトニンが不足すると精神のバランスが崩れ、暴力的になったり、うつ病を発症する原因となることもあるという。主人公も医者の診立てによれば「悲しみで死にかけてる」。実はかなり重篤で、風呂はおろか、シャワーも浴びたくないほど。抗うつ剤の副作用で、性欲がなく、不能になりかけている。そうなったらなったで彼が考えるのは自分のせいで別れた恋人のことばかり。これはちょっと悲惨だ。
自分の四十六歳当時を思い出した。仕事も人間関係も発展途上にあり、バリバリやっていた。時代も今とちがって前向きであったし、国にも勢いがあった。ひるがえって今はどうだ。自国の凋落は目を覆いたくなる惨状。世界に目をやっても、悲惨な有様だ。戦争は止む気配はないし、指導者の質はがた落ちしている。ポジティブになれなくても無理はない。個人は自分一人で生きているわけではない。いやでも社会の中で生きるしかない。主人公を追い詰めるのは個人的な問題だけではないことをウェルベックは書いている。
最初から何もかもがあまりに明白だった。でもぼくたちはそのことを考慮に入れなかったのだ。個人の自由という幻想に身を任せてしまったのだろうか、開かれた生、無限の可能性に? それもあり得る、そういった考えは時代の精神だったからだ。ぼくたちはそうはっきりと言葉に出しては言わなかったと思う、関心がなかったのだ。ただそれに従い、そういった考えに身を滅ぼされるのに任せ、そのあと、長い間、それに苦しむことになったのだ。
はじめはおつきあいを遠慮したくなる主人公だったが、結末に至るといとおしく思えてくる。そう思い始めたところで小説は終わる。この世には、取り返しのつかないことがあり、それは失ってみて初めて気がつくのだ、という真理が痛いほど胸に迫る。読みおえたあと寂寥感が心に残る。主人公の変容の鮮やかさという点において、他の作品を凌駕している。ひょっとしたら代表作になるかもしれない。