青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『結ばれたロープ』フリゾン=ロッシュ

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登山の経験もなく、山の近くに住んでもいないのに、何故だか山の生活を書いた小説を見つけると読まずにいられない。自分には出来ないことをする人々への憧憬があるのだと思う。最近読んだものの中ではローベルト・ゼーターラーの『ある一生』やパオロ・コニェッティの『帰れない山』などが気に入っている。

1941年というから、ずいぶん昔に書かれている。実際にあった出来事をもとに書かれた小説で、舞台となっているのは1925年から1926年ごろのシャモニーとその周辺の山々だ。主人公のピエールは山好きの若者で、父も伯父もシャモニーでは知られた山岳ガイド。その中でも「でかいやつ」と称される難ルートに挑むクライマーのガイドを務めることができる指折りのガイドだった。

その年の登山シーズンもそろそろ終わりかけたころ、ピエールは「赤毛」と呼ばれる伯父の助手をつとめ、モンブランに登頂するパーティーをガイドし、ジェアンのコルの小屋に降りた。そこで、父のジャンがドリュ峰で雷に打たれて死んだことを知らされる。疲れた体を休める暇もなく、二人は急いで救援に向かう。

山の天候について誰よりもよく知るジャンがなぜ、落雷に遭ったのか。ジャンはクラリスのジョルジュを助手にして、アメリカ人登山客のガイドをしていた。天候の急変を告げる雲行きに危険を察知して下山を勧めるが、頂上を目の前にした登山客は、そのために金を払っている、と首を縦に振ろうとしない。やむなく急いで頂上を攻めたその帰り、二人を先に下ろしていて雷に打たれてしまう。

この小説のハイライトとなるのは、三つの山行を描いたパートである。そのひとつが、ジャンの替わりにガイドを務め、無事に客を麓の町まで連れ帰るジョルジュの孤独な闘いを描く部分。客はジャンの死にショックを受け、気がおかしくなっている。呆けた状態の客と二人で帰りの難所を切り抜けなければならず、ジョルジュは苦闘し続け、凍傷に見舞われながらも、遂に下山に成功し客を連れ帰る。

ヘリコプターのない時代、誰かが遭難すれば、救援に向かうのは仲間のガイドたちだった。熟練のガイドはそれぞれ客に従って出払っている。山頂近くの岩場に残されたジャンの遺体を運び下ろすために、ガイド組合長は、その場に居合わせたベテランガイドにまだ若いガイド助手を組ませ、救援に向かわせる。途中で合流したピエールと赤毛を加えた一行は、ドリュ峰に向かうが、雪に阻まれる。

冬の間、父を山の上に置き去りにすることを受け入れられないピエールは無理な登山を行い、墜落してしまう。幸い危険を予測した友人のブールがロープで確保してくれていたので、クレバスの中に墜ちることは免れ、三十メートル下の雪の積もった岩に衝突した後、ロープで宙づりになり意識を失う。仲間に助けられ、何とか下山したピエールは頭蓋骨骨折で手術を受けることに。

この骨折によって、ピエールには後遺症としてめまいが残る。山行の途中で手を離す危険もあるという医者の説明を聞いてガイドを夢見ていたピエールはショックを受ける。自らを試そうと山に入るが、医者の言う通りめまいが起き、以前のように果敢に山に挑むことができなくなったことを知る。夢破れた若者は、誰とも会おうとせず、酒に溺れるようになる。

そのピエールを助けようと、山の仲間が一つの策を企てる。高地牧場で行われる牛の女王を決める催しにかこつけて、山行を拒否するピエールを無理矢理連れ出し、自信を取り戻させようというのだ。仲間が一緒ならできるから、と。『結ばれたロープ』という表題は、この仲間たちの友情を表しているのだろう。ピエールはめまいに悩まされながらも、なんとか頂を極めることに成功する。

極めつけは、凍傷で両の足の指を失ったジョルジュが意志の力でハンデを克服しようと山行にピエールを誘い、二人でヴェルト峰に登る部分だろう。体に障害を持つジョルジュと心に傷を負ったピエールが、二人っきりで難所に挑むのだ。あえて、ブールやフェルナンには告げない。彼らがいればどうしても頼ってしまうからだ。山行では仲間の存在は大切なものだ。ピエールが一時的にではあるが、感覚を取り戻せたのも友の危機を助ける咄嗟の行動だった。

一方で、最後には自分自身との闘いに勝つことが山では何より大事なのだ。ジャンが遭難したのも、自分の判断の正しさより、シャモニーのガイドの名誉というちっぽけなプライドを上位に置いたからだ。ピエールの墜落も父を思うが故の焦りが原因だ。どんなに腕があっても、自分自身との闘いに勝つ意志力がなければ、登頂に成功することはできない。そして、登ったからには降りなくてはならない。初めからその余力を見込むだけの力量がいるのだ。

厳しい雪や氷との闘いがメインだが、所どころに挿まれる、山間の自然描写の美しさ、フォンデュを作る段取りの詳しい描写、シャモニーの人々の独特な風習や土地柄など、読むべきところの多い小説である。おそらくモデルにした人物がいるのだろう。実力はあるくせに自分を抑え、人の支えになる方を選ぶブールという人物の造形など、つくり物でない彫りの深さを感じさせる。何度でも読みたくなる小説である。当時のシャモニー近辺を撮影した多くの写真が文章に花を添えてくれている。