青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『ヴィネガー・ガール』アン・タイラー 鈴木潤 訳

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ケイト・バティスタは二十九歳。ボルティモアのジョンズ・ホプキンズ大学で自己免疫疾患の研究に勤しむ父と十六歳の妹の三人暮らし。妹が生まれてすぐ母が死んでからは家事全般を受け持ち、近くのプリスクールで四歳児を担当するアシスタントを務めている。率直な物言いが子どもには人気だが、場の空気を読むことが不得手で、保護者からは苦情が寄せられ、現在は「保護観察中」の身分。次に問題を起こせば、馘首を覚悟しなければならない。

別に教師志望ではなかった。植物学者を夢見て大学に通っていた二年生の時、教授の光合成の説明に文句をつけたことが舌禍を招き、退学処分となる。次年度に復学希望を出す方法もあったが、自分の研究以外のことに無関心な父は、娘が家事を受け持つことの便利さにかまけて、復学希望を出すことを怠った。見かねたシルマ伯母が、自身が理事をしているプリスクールに口をきいてくれたのでそのまま働き続けた。それだけのことだ。

家事は、父ルイスが考えたシステムに則って行われる。毎日の食事のメインは、ミートマッシュと呼ばれる、乾燥豆と青野菜、ジャガイモと肉をペースト状にして裏ごしした、栄養学的には完ぺきなものだ。曜日によって、トルティーヤとサルサでミートマッシュ・ブリト―にしたり、カレー粉を混ぜてカレーにしたりと変化をつけている。洗い物は食洗器。洗濯はたたんだ後、分別するのが面倒だというので、曜日によって誰の洗濯物を洗うか決めている。時間のある時は庭の草木の世話をするのがケイトの唯一の息抜きだ。

物心ついたころから、鬱病を病む母は施設暮らし。ケイトは母親代わりとして幼い妹の世話をし、家の切り盛りをしてきた。学者バカの父は、家のことは長女に頼りきりで、ひたすら研究に打ち込んでいる。家族第一で自分のことは、行き当たりばったりで切り抜けてきたケイトは、失職を目前にして、自分が本当は何がしたいのか、何になりたいのか真剣に考えることもなく、今まで生きてきたことに思い至り、あらためて当惑を覚えるのだった。

よくある話だ。妹のバニーは母親に似て金髪で可愛く男の子にモテる。姉のケイトは長身で色黒、おしゃれには無縁。美容院でのおしゃべりが苦痛で行くのををやめてしまって以来、ウェーブのかかった黒髪を腰まで伸ばし放題にしている。男嫌いではないが、職場に男性アシスタントはアダム一人だけで、彼のことは好きだが、物腰が優しい英文学専攻のアダムのそばにいると、自分のがさつさが気になるというのでは、関係は進展しそうもない。

そんなケイトに結婚話が持ち上がる。相手は父の助手のピョートル。優れた免疫学者だが、三年間の期限付きビザがもうすぐ切れる。父の研究は学内での評価が芳しくなく、助手のビザの更新は覚束ない。しかし、ピョートルなしでは研究は進まない。そこで、形だけでも娘と結婚させ永住権を取得させようと考えたのだ。ケイトに会ったピョートルは、そのじゃじゃ馬ぶりが気に入り、話に乗り気のようだが、婚期に遅れた娘を賞味期限切れの商品みたいに都合よく処分する、父の心ない仕打ちにケイトはいたく傷つく。

そんなケイトの気持ちを知ったピョートルと父はケイトに謝罪する。それがきっかけとなり、それまで話をしたことのなかった父と娘は心を開いて話し合う。母の死の真相や、男手ひとつで娘二人を育ててきた苦労、成果を出すまであと一歩のところでピョートルのビザが切れ、研究が立ちいかなくなったことなど、ケイトの知らないところで、父は苦しんでいた。父の苦境を思いやり、ケイトは関心のなかった結婚に踏み切る決心を固める。

しかし、それではあまり話が都合よすぎるという批判も出てこよう。ちがうのだ。もちろん永住権は喉から手が出るほど欲しい。しかし、ルイスはその学識、能力だけでなく、人間としてピョートルのことが気に入っていて、手放したくないのだ。ふだん手に取ることもない携帯電話を手に、移民局の調査の裏付けとなる証拠写真を撮るために悪戦苦闘したり、娘のご機嫌を取ったり、と何とも健気だ。この父親なら、娘のことも見守ってきたにちがいない、と思わせる。それはケイトにも伝わっている。だからこそ結婚に同意するのだ。

語りなおしシェイクスピア第三弾。元ネタはシェイクスピア早書きの喜劇『じゃじゃ馬ならし』。この話、女性蔑視が色濃く評判が悪い。妹の結婚の邪魔になる姉を、金を積んで結婚させようという父親の魂胆も、その後の賭けをめぐる話もいかにも筋が悪い。アン・タイラーは、金とは無縁の学者を父親に持ってくることでそれをクリアし、ケイトのキャラクターも、原作のエキセントリックな女性から、直言居士ぶりが玉に瑕な、気立てのいい、家族思いの娘にすることで読者の共感を呼ぶことに成功している。

ところが、いざ結婚式の日が来ると、研究室のマウスが盗まれ、データ消滅の危機に襲われ、父と義理の息子は式どころではなくなる。結婚式に至るまで、散々な目に遭わされるケイトという原作由来の筋書きはしっかり受け継ぎ「語りなおし」の名に恥じない仕上がりになっている。シルマ伯母の采配による結婚披露宴は祝祭的な華やぎに満ち、いかにもエリザベス朝演劇世界を彷彿とさせる出来ばえ。もともとは、枠物語の形をとるこの芝居。本作ではエピローグにそれが生かされ、何とも粋な結末になっている。

例によって巻末にオリジナル・ストーリーが付されているが、シェイクスピア原作を謳わなくても、ボルティモアの市井に暮らす一家の結婚をめぐる物語として、巧まざるユーモアに満ちた、しみじみと味わい深い世界を堪能することができる。一人称限定視点で書かれ、読者は知らず知らず、少しくせはあるものの、その言葉にも、行動にも納得がいく、実に生き生きとした女性の心の揺蕩いに一喜一憂しながら、気持のいいエンディングに導かれる。読んでいて心が満たされる極上の小説である。