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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『部屋の向こうまでの長い旅』ティボール・フィッシャー

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いやいや引き受けたコンピューターグラフィックスの仕事で思わぬ大金を手に入れたオーシャンは、ロンドンの外れに上下二階分のフラットを手に入れると、そこに引きこもった。この時代、金さえあれば、部屋から一歩も出ずに生きていける。糞みたいなロンドン市中にわざわざ足を運んでくたびれ果てる必要などない。

そんな時、どうしたことか十年前に死んだはずのウォルターから手紙が届く。謎を解くにはミクロネシアにある島を訪れブルーノという男に会う必要があるという。オーシャンは、たまたまフラットを訪れたオードリーに自分の代理として島に行くことを依頼する。手紙をよこすだけで決して顔など見せることのない債権回収業者の中で、ただ一人取り立てにやってきた彼ならやってくれそうな気がしたのだ。一度は断ったオードリーだったが、翌日電話があった。話によっては引き受けてもいいという。

オーシャンは、ウォルターと出会った経緯を語りはじめる。ダンサーだった頃、金に困ってバルセロナのクラブの本番ショーの仕事を請けたことがある。紳士的なボスの下に、性格はともかく魅力的な肢体を持つ男や女が溢れ、屋上にはプールつきのテラスがあり、大麻も吸い放題という天国みたいな毎日だったが、不慮の事故で仲間が亡くなるという事件が相継いで起きる。被害者は一人や二人ではなかった。ウォルターとは、その頃知り合ったのだった。

十年もたった今、どうして死者から手紙が届くようなことになったのか。オードリーは引きこもりで部屋から出られないオーシャンに代わり、チューク島を訪れる。オーシャンは現地から送られてくる映像を自宅のモニターでチェックするという段取りだ。オードリーは、ブルーノに会いはしたがウォルターの手紙を見つけることはできず、自宅のあるサンクアイランドに戻る。そこで、彼を待っていたのは誰あろう、戦乱のユーゴで彼をスパイ扱いし、銃殺刑を命じたロベルトだった。

人というのは不思議なめぐり合わせで運命的に出会うものだ。ティボール・フィッシャーの関心は、その不条理とも思える出会いの妙味を伝えることに向けられているようだ。そこに用意されるのは、絶妙の語りで繰り出される奇想天外な挿話と、よくもこれほど創意溢れる個性的な人格を準備できたものだとあきれさせるほどエキセントリックな人々の間で交わされる会話の数々だ。シェヘラザードが毎夜毎夜奇想溢れる物語を語りおおせたように、しりとり遊びのように話者が交替しては、繰り広げられる皮肉で不条理に満ちた人生模様。これは現代版『千一夜物語』なのかもしれない。

これ以上はないというくらい、信じられない「嘘のような本当の話」が、これでもかというくらい次から次へと繰り出される。この世には神はいないかもしれないが、人をおちょくり、厄介な運命を背負わせる人騒がせな魔物なら、台所の隅や違法駐車された車の陰、つまりそこら中にわんさといるのだろう。そんな話を信じたくなるほど、みじめで、とことん恐ろしく、それでいてどこかとてつもなく滑稽な打ち明け話が、手品師の袖口から出てくるトランプのように、きりもなく披露される。

法螺話の類だが愉快なものではない。何処へ行って何をしようが、その人間だけに刷り込まれたパターンのような厄介事にオードリーはつきまとわれている。意気消沈したオードリーを慰めるため、オーシャンは、引きこもりをやめ、外出する覚悟を決める。自分のためならできないが、人のためならできることがある。結びの決め台詞が泣かせる。

「人生はたった一人の闘いだ。でも、味方がいていけないことはない。ときどきは、魂の背中を誰かに流してもらう必要がある。そう、誰にでもそういうときがある。帰るべき場所が場所(傍点二)であることは決してない。帰るべき場所は、かならず人(傍点)なのだ」

女が書けたら一人前、というのは一昔前の日本の物書きの言い種だが、どんなに面白いストーリーやプロットが提供できたとしても、ありきたりの人物しか出てこない小説はつまらない。そしてここが肝心だが、たいていの小説は交換可能な人物で成り立っている。だから、正直言ってつまらない。読んで損したと思うくらいだ。ティボール・フィッシャーの描き出す人物はかなりエキセントリックではある。一般向きとはいえないかもしれない。しかし、この人の手にかかると、「プールに浮かんでる糞」と評される最低の男ルトガーでさえ、忘れがたい印象を残す。その他の人物なら言わずもがな。気になったら是非一読をお勧めする。