青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『東の果て、夜へ』ビル・ビバリー

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原題は<DODGERS>。言うまでもなく有名なメジャー・リーグのチーム名で、旅に出る少年たちが来ているユニフォーム・シャツに由来する。ドジャースがブルックリンに本拠地を置いていた時代、ブルックリンの住人は行き交う路面電車をかわしながら街を往来しなければならなかった。そこから、ブルックリン地区の人々を 「路面電車をよける (dodge) 人たち」 つまり、 「トローリー・ドジャース」と呼んだ。チーム名はそこから来ていると言われている。

少年時代、ドッジ・ボールが苦手だった。最後に一人残って逃げてばかりいると、味方の外野から「早く当たれ」とやじられる。ゲームが早く終われば、はじめからもう一回できるからだ。後年、「ドッジ」の意味が「よける」だと知り、ひらりひらりとボールをよけていた自分の方が、自ら捕りに行く級友よりも正統的であったことに気づき、留飲を下げた覚えがある。まあ、そんなことで少年時代の苦い思い出は消えたりしないのだが。

クライム・ノヴェルであり、ロード・ノヴェルでもある。ロサンジェルスからウィスコンシンまで、北米大陸を車で東に横断する黒人少年たちの旅と、主人公であるその名もイーストの旅立ちを描く。主人公が十五歳。弟のタイが十三歳、最年長のウォルターでさえ十八歳である。初めは旅を仕切っていた二十歳のマイケル・ウィルソンがラス・ヴェガスでトラブルを引き起こし、仲間から排除されてしまう。それがケチのつきはじめだった。

イーストは、ボクシズ(箱庭)と呼ばれる地区で麻薬業界を仕切るフィンというボスに見張り役として使われていた。ある日、警察に踏み込まれ、組織は打撃を受ける。仕事先の「家」は閉鎖され、失業したイーストは、フィンから直々に、他の三人とウィスコンシンまで行き、自分の裁判を担当する判事を殺せ、という指令を受ける。飛行機を使うと身元が割れる。車で行って仕事をし、終わったらそのまま帰ってくるという筋書だった。

金以外は何も持たずに出向き、銃は現地で調達するはずだったが、四人のはずが三人になったため、銃の取引相手が信用せず、別口で銃を買う羽目に追い込まれる。この辺りの少年たちの困惑と、そこを何とか切り抜ける機転の利かせ具合がなかなか面白い。ひとつピンチを切り抜けるたびに、それまでよく知らなかった相手の頭の良さや口の上手さ、度胸の良さ、危機回避能力などを知ることで、相手をリスペクトするようになってゆく。

口先ばかりのマイケル・ウィルソンが去ると、コンピュータ・オタクのウォルターが、なかなかの切れ者であることが分かってくる。種ちがいの弟のタイは家を出て以来音沙汰がなかったが、組織の雇われ仕事で、銃の扱いに慣れており、いざという時は頼りになる。ただ、何かというと銃を使いたがるので、イーストは扱いに困っている。タイは誰のいうことも聞きはしないのだ。

イーストは、冷静で暴力を好まない。「家」のガサ入れで銃撃戦に巻き込まれて死んだ少女をいつまでも忘れられない。そんな少年がなぜ殺人という依頼を受けたかだが、一つはフィンは父の実弟で、血のつながりがある。もう一つは、組織の危機を招いたのが自分が仕切る見張りチームのミスではなかったかという自責の念だ。さらに言えば、死んだ父の代わりに母に仕送りをしなければならなかった。

廃屋の段ボールの箱で眠り、洗面器で体を洗う少年の暮らしは、人の温みとは無縁だった。そんなイーストが父親代わりに出会うのが、第三部「オハイオ」。請け負った仕事はやり果せたものの、数々の失態から、ついにイーストは厄介者のタイを撃ってしまう。飛行機で家に帰るウォルターと別れ、独り東に向かって歩き出したイーストを雇ってくれたのが、スローター・レンジというウォー・ゲーム場のオーナーだった。

追われる身であるイーストは、このペリーに見込まれ、仕事を任される。模擬弾を使った撃ち合いだが、持ち込まれた弾には危険なものがある。プレイヤーたちが不正をしないか、上から見張ったり、掃除や道具の貸し出しをしたりといった仕事をイーストはしっかりこなした。客からも信頼され、オハイオでの暮らしにすっかりなじんだ頃、ペリーが死ぬ。そんな時、思いもかけないことに襲撃を受ける。

あっと驚くどんでん返しだが、オハイオでの地道な暮らしに共感を感じていた読者としてはありがたくない不意打ちだ。ネタバレになるので詳しくは書けないが、種明かしめいた展開はあまりいただけない。イーストという少年の成長と更生を願う読者としては、これではまるで、イーストが観音様の掌の中を飛び回る斉天大聖悟空のように見えてくる。いっぱしの大人のように思えていたイーストが一気にただの子どもに戻ってしまうのだ。

「書評七福神の今月の一冊」で票を集めていたので手を出した。これがデビュー作というので名うての評者も点が甘かったのかもしれない。広いアメリカを行く少年の目に初めて見える景色や、土地によって異なる人々の暮らしの様子など、少年であればこそとらえることのできる初々しい視点がある。ロード・ノヴェルの新境地かもしれない。ただ、終始十五歳の少年に寄り添った視点では、いくら大人びていても見えるものは限られている。それが叙述トリックなのかもしれないが、見える世界が限られている息苦しさが気になった。