青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

2018-01-01から1年間の記事一覧

『曇天記』堀江敏幸

どうということのない街歩きの中で出くわした小さな異変をたんねんに拾い集めて、体と心の感じた違和をことばで書き連ねていく。印象としては実に冴えない風景と事件の集積である。歩道橋の上を歩くときに感じる足もとが沈む感じであるとか、ビニール袋の持…

『そしてミランダを殺す』ピーター・スワンソン

空港のバーで出会った男女が意気投合する。男はテッド。ネット・ビジネスの成功者で大金持ち。女はリリーといい、ウィンズロー大学の文書保管員。ビジネスクラスで隣り合った席に座るうち酒の酔いもあって、テッドは妻のミランダが出入り業者と浮気する現場…

『どこにもない国』柴田元幸編訳

翻訳家柴田元幸編訳による現代アメリカ幻想短篇小説アンソロジーである。アンソロジーのいいところは、今まで読んだこともない作家の味見ができるところにある。一方で問題点は、ハマる作品もあれば、そうでもない作品も集められていることだ。おそらく編者…

『最後に鴉がやってくる』イタロ・カルヴィーノ

巻頭の一篇。もしこの世界がリセットできるものなら、こういうふうに始まるのかもしれない。そんなふうに思わされるほど、天上的で祝祭的な多幸感あふれる一幕劇。タイトルからして「ある日の午後、アダムが」なのだ。でも登場するのはアダムとイブではない…

『最後の注文』グレアム・スウィフト

ロンドンのバーモンジーにあるパブ、馬車亭のカウンターに男が三人座っている。黒いネクタイをした小男がレイ。赤ら顔の男がレニー。やはり黒いネクタイをしてボール箱を抱えているのがヴィックだ。そこにロイヤル・ブルーのベンツで乗りつけてきたのがヴィ…

『動く標的』ロス・マクドナルド

ハメット、チャンドラーの後継者と呼ばれたロス・マクドナルドの手になるロスアンジェルスの私立探偵リュー・アーチャーが活躍するシリーズ物の第一作。何十年も前に訳されたハードボイルド小説の新訳である。どうして今頃になってと思うのだが、村上春樹の…

『昏い水』マーガレット・ドラブル

老人施設の調査研究を仕事にするフランチェスカ、とその息子で今はカナリア諸島に滞在中のクリストファーという二人の人物を軸にして、二人をめぐる家族、友人、知人が多彩に出入り、交錯する。短い章ごとに視点人物が入れ替わり、それぞれの視点で語られる…

『ブッチャーズ・クロッシング』ジョン・ウィリアムズ

ジョン・フォード監督に『シャイアン』という映画がある。いつもの白人の視点ではなく、不毛な居留地に閉じ込められたインディアン側に寄り添った一味違う西部劇だ。約束を守らない白人に業を煮やしたシャイアンの部族全員が故郷に帰る決断をする。苦労を重…

『マザリング・サンデー』グレアム・スウィフト

一九二四年のマザリング・サンデー、三月三十日は六月のような陽気だった。マザリング・サンデー(母を訪う日曜)は、日本でいう藪入り。この日、住み込みの奉公人は実家に帰ることを許される。そのために雇い主の家では昼食をどこかでとることが必要となる…

『雪の階』奥泉光

武田泰淳の『貴族と階段』、松本清張の『点と線』を足して二で割ったような小説。二・二六事件前夜の緊迫した政治的状況を背景に、伯爵家の令嬢が友人の死の謎を解く、ミステリ仕立ての一篇である。特筆すべき点は、元ネタとして、上に記した二作品をフルに…

『それまでの明日』原尞

愛煙家必読の書。今どきこれだけ煙草を吸うシーンが描かれる小説は世界中どこを探してもないだろう。出てくる男も女もひっきりなしに煙草を吸っている。禁煙になっていてもだ。まあ、自分は吸わないが、最近の煙草に対する世間の冷たさには首をかしげたくな…

『日本人の恋びと』イサベル・アジェンデ

舞台はアメリカ西海岸、主人公の名はアルマ・べラスコ。慈善事業に熱心なべラスコ財団の代表である。自身のブランドを所有するデザイナーでもあるが、何を思ったか家を出て民主党支持者やヒッピーの生き残りやアーティストが入居待ちリストに名を連ねるラー…

『マイタの物語』マリオ・バルガス・ジョサ

訳者は一般に流布する「リョサ」ではなく、原語の発音に近い「ジョサ」と記すが、著者はあのノーベル賞作家である。実際にあった事件に基づいて書かれた小説である。新聞に載った数行程度の記事から小説を書くのは、スタンダールに限らず、多くの小説家がや…

『女王ロアーナ、神秘の炎』ウンベルト・エーコ

<上下巻併せての評> 歳をとってきた人間がやろうとすることの一つに「自分史」を書くというのがある。記憶力も衰えてきて、思い出すことができるうちにまとめておきたくなるのだろう。特に遺しておくような値打ち物の過去もなければ、日記をつける習慣もな…

『ソロ』ラーナー・ダスグプタ

『ソロ』という音楽用語に似つかわしく、小説は第一楽章「人生」、第二楽章「白昼夢」と題された二つの章で構成されている。この章につけられた名前の意味は、小説が終わりを迎えるころ意味を明らかにする。その意味を知った読者は、作者の巧妙な作為にはた…

『水底の女』レイモンド・チャンドラー

原題は<The Lady in the Lake>。サー・ウォルター・スコットの叙事詩『湖上の美人』<The Lady of the Lake>をもじったもの。< Lady of the Lake>は、アーサー王伝説に登場する「湖の乙女」のことだ。この作品のもとになっている中篇「湖中の女」は、稲…

『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド

南北戦争が起きる三十年ほど前、ヴァージニア州にある農園で奴隷として働いていたコーラは新入りのシーザーという青年に、一緒に逃げないかと誘われる。はじめは相手にしなかったコーラだが、農園の経営者が病気になり、酷薄な弟の方と交代することになって…