青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

2013-01-01から1年間の記事一覧

『寒い国から帰ってきたスパイ』ジョン・ル・カレ

シンプルなストーリー展開で、小気味よく読ませる。『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』に始まる三部作でゆきつもどりつを繰り返す晦渋な語り口に翻弄された読者には信じられないような読みやすさ。ジョン・ル・カレの出世作である。この作品がス…

『リトル・ドラマー・ガール』ジョン・ル・カレ

スマイリー三部作をはじめとして、ル・カレの小説は再読を強要する。一読して分からないというのではない。時間や場所、登場人物の異なる複数のストーリーが並行して展開する小説は少なくないし、もっと大量の人物が交錯する小説も何度も読んできている。文…

『ナイト・マネジャー』ジョン・ル・カレ

テレビのモニタに空爆されるバクダッドの映像が流れるチューリヒの高級ホテル・マイスター・パレス。ナイト・マネジャーをつとめるジョナサン・パインは夜間、吹雪をおして到着する一団の到来を待ち受けている。一群を率いるのはリチャード・オンズロウ・ロ…

『パーフェクト・スパイ』ジョン・ル・カレ

たいていの小説は読み飽きて、手を出す気にもなれなくなったすれっからしの本読みが最後に手を出すのがスパイ小説。それもジョン・ル・カレの書くそれ。そんな気がしていた。主義主張や理想をふりかざして世の中を変革しようとしたり、どこまでも真理や真実…

『シングル&シングル』ジョン・ル・カレ

時はペレストロイカ時代。旧ソヴィエト連邦が瓦解し、すべての利権がなだれをうって新しい権力者の手の内に落ちようとしていた嵐のような時代だ。英国商社シングル&シングルの重役がトルコの丘の上で殺される場面で物語は幕を開ける。シングル社が契約して…

『スマイリーと仲間たち』ジョン・ル・カレ

ジョージ・スマイリーは、元英国情報部の現地指揮官。冷戦時には有能なスパイとして情報部を指揮していたが、世界情勢は緊張緩和(デタント)へと舵を切り、顔ぶれを一新したホワイト・ホールは情報戦も英米協調をうたい、かつてのような英国独自のスパイ網…

『カールシュタイン城夜話』フランティシェク・クプカ

丘の上に聳える灰色の城塞が眼に浮かんだ。坂を下りながらふりかえると、武骨な石造りの砦は翼を広げた鷲のように、谷に向かってその一部を中空にせり出していた。プラハ郊外の寒村に中世の姿を今にとどめるカレルシュタイン城。よく覚えている。張出し窓の…

『スクールボーイ閣下』ジョン・ル・カレ

村上春樹が「ぼくは三度読んで、そのたびに興奮した」と絶賛し、ル・カレの最高傑作としたのが本作『スクールボーイ閣下』(原題“ The Honourable Schoolboy ”)だ。前作『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』に継ぐスマイリー長篇三部作の第二作。…

『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』ジョン・ル・カレ

二度読んだ。結果から言えば、ここは、と思わせる部分がないこともないが、全体的にはさほど読みづらさは感じなかった。読みづらさを感じる原因は、フラッシュバックを駆使した回想視点の導入による時制の交錯や、複数の視点人物の瞬時の転換といった原作者…

『春の祭典』アレホ・カルペンティエール

「彼らを見なよ。企業の国営化に対抗して、ヤンキーたちがこれから輸出規制を強化することを知っていながら、彼らは歌っている。この国の食料品店は空っぽになるだろうし、車は交換部品や燃料の不足から止まってしまうだろう。歯ブラシ一本、タイプライター…

『石蹴り遊び』フリオ・コルタサル

幻想的な短編小説の名手フリオ・コルタサルの筆になる、あまりにも有名な長篇小説。何がそんなに有名なのかは後で説明するとして、まずはざっとあらすじを述べる。主人公は、作家自身をいやでも思い浮かべてしまうブエノスアイレス出身で、パリでボヘミアン…

『翻訳に遊ぶ』木村榮一

ラテン・アメリカ文学にはまっている。一昔前にもなろうか、ラテン・アメリカ文学のブームが起きた。何事によらず、ブームとか流行とかには縁がなく、ほとぼりが冷めて人々が熱気を失いはじめたころになって興味を覚える天邪鬼な性行があり、今頃になって絶…

『キャンバス』サンティアーゴ・パハーレス

井伏鱒二が、自作の『山椒魚』を自選集に収めるに際し、結末部分をばっさり削除してしまった事件を思い出した。教科書にも載っている有名な作品を、いくら作者であっても勝手に改編することが許されるのか、暴挙ではないか、というのが批判する側の論拠であ…

『新編バベルの図書館3』ボルヘス編

薄明の書斎に座しながら記憶に残る文章の回廊を逍遥し、世に隠れた幻想怪奇譚の名品を蒐集、バベルの名を冠したビブリオテカに保存し、好古の士の閲覧に供さんと企てられたこのシリーズ。第三巻目はイギリス編その二。ボルヘスの手が掬い上げた作家はスティ…

『遠い女―ラテンアメリカ短篇集』フリオ・コルタサル他

表題作「遠い女」を含むフリオ・コルタサル作五編は、ボルヘスに激賞されたといわれる最も早い時期に発表された短篇集『動物寓意譚』に収められている。ラプラタ河幻想文学という言葉があるが、アルゼンチンのブエノスアイレスは、ボルヘスやアドルフォ・ビ…

『海に投げこまれた瓶』フリオ・コルタサル

原題は所収の別の一篇のタイトルを採って『ずれた時間』であった。どういう理由でこの表題になったかは「訳者らの判断による」と解説にあるが、この短篇集の一つ前に発表された『愛しのグレンダ』という表題を持つ短篇集の存在が大きいのではないだろうか。…

『愛しのグレンダ』フリオ・コルタサル

M.C.エッシャーの絵を見たことがあるだろうか。泳ぐ魚の群れから視線を上げていくと、何やら一つ一つの輪郭が抽象的な形の中に溶解してゆく。なおも視 線を上げてゆくと隣に同じような抽象的な形が目に入る。ちがっているのは今度はそれが鳥のようにみえ…

『この世の王国』アレホ・カルペンティエル

カリブ海に浮かぶサント・ドミンゴ島の西部に位置するハイチは、ラテン・アメリカ諸国で初めて独立を果たし、共和国となった国である。カリブの海賊といえば、ディズニー社製のアトラクションや映画を思い浮かべるかもしれないが、17世紀にはハイチ島を基地…

『遊戯の終り』フリオ・コルタサル

1956年発表というのだから、パリに来てまだ五年しかたっていない頃の作品である。掌編といってもいいほど短い作品も混じっているが、とてもとても習作などとは呼べない完成度を見せている。とはいえ、まだどこか初々しさすら感じさせるコルタサルを味わうこ…

『すべての火は火』フリオ・コルタサル

ラテン・アメリカ文学と一口にいっても北は北米西海岸に接するメキシコから南は南極に近いアルゼンチンまで、人種、気候はもとより歴史、文化が異なるのは当然のこと。それを一括りにしてしまうのには無理があると思うようになったのは、コルタサルを読むよ…

『通りすがりの男』フリオ・コルタサル

詩はアンソロジーで読め、と言ったのは誰だったか。一冊の詩集には同工異曲のものもあれば、駄作もまじる。アンソロジーなら名詩ばかりで外れがなく、ヴァラエティーに富んでいるからだろう。同じことが短篇集にもいえる。一人の作家の持つ様々な持ち味を一…

『快楽としての読書』(海外篇)丸谷才一

本を切らしてしまった。読むに価する本をどうにかして調達せねばならぬ。そういうときどうするか。私なら書評に頼る。新聞や雑誌には書評欄というスペースがあって、週に一度は新刊の紹介記事が載っている。何度か試すうちにお気に入りの書評家が見つかる。…

『快楽としてのミステリー』丸谷才一

帯に「追悼」の二文字が入った、これも文庫オリジナル編集の「追悼」本。早川書房の「エラリー・クィーンズ・ミステリ・マガジン」をはじめ各社の雑誌等に寄稿したミステリ関係の書評・評論を時代、内容ごとに改めて編集したものである。その多才さは知って…

『生半可版英米小説演習』柴田元幸

海外の小説が好きでよく読む。もちろん日本語訳で。読んでいて思うのは「これって原作者じゃなくて、翻訳家が書いた文章だよね」ってこと。フォークナーを読もうが、サリンジャーを読もうが、はっきり言って、読んでいるのは「筋」であって、本来英語で書か…

『なつかしい時間』長田 弘

長田弘は詩人である。ともすれば難解なイメージをもたれがちな現代詩の書き手の中で、難しい言葉を使わず、易しい言葉を使って、言うべきことを短く語る、そんな詩人だ。その詩人が、NHKテレビ「視点・論点」で毎回語った元原稿に手を入れた四十八篇に、…

『無地のネクタイ』丸谷才一

作家が亡くなると、関係のあった出版社からは追悼の意味も含め、版権を所有する原稿を集めて遺稿集のような本を刊行するのが常で、これもそのひとつ。岩波の雑誌『図書』に掲載されていたエッセイを集めたものである。同じエッセイ集にしても『オール讀物』…

『そして、人生はつづく』川本三郎

川本三郎には、荷風、林芙美子、白秋など近代文学史上に名を残す作家の評伝を書くという文芸評論家の仕事とは別に、映画、鉄道旅行、居酒屋、商店街といったお気に入りの主題を材に採ったエッセイ作家の顔がある。数年前に永年連れ添った伴侶をなくしてから…

『落語の国の精神分析』藤山直樹

著者は日本にたった三十人ほどしかいない精神分析家にして、年に一度はみっちりと新ネタを仕込んで客に披露する落語のパフォーミングアーティスト (職業的落語家ではない)である。小さい頃からの落語好きが嵩じて、喰いっぱぐれる心配のない今の職業につい…

『こころ朗らなれ、誰もみな』ヘミングウェイ

柴田元幸が自ら選び訳したヘミングウェイの短篇集。時代的には初期の短篇集『われらの時代』から晩年の未完の長篇『最後の原野』まで、舞台も時代も異なる作品を集めた19篇から成る。熱狂的なファンは別として、髭面の写真に「パパ」という愛称、それに映…

『終わりの感覚』ジュリアン・バーンズ

高校時代の歴史の時間、老教授の「歴史とは何だろう」という問いに、主人公トニー・ウェブスターは「歴史とは勝者の嘘の塊です」と答えている。斜に構えて見せたつもりだろうが、紋切り型の使いまわしにすぎず、主人公の凡庸な人となりを現している。老教授…